[日録]

  • ホームドアができるまで、むきだしのプラットホームなんて、いちども怖いと思ったことなんかなかったが、あれができてから、ものすごく危ない場所に知覚され始めた。

  • 二度寝して、寝坊する。歯医者に電話をする。謝って来週に変更してもらう。
  • ネトウヨになってしまった友人の劇団サイトの上演歴をふと眺めることになり、それがもう十年以上前であることを改めて知る。これだけ経っても、幾つかの舞台の煌きと客席での興奮がまざまざと思い出される。そして、とてもつらくなる。その波が鎮まらないなかで、このままにしておこうかとも思ったが、しかし、このように蔑まれ憐憫されることを彼もよしとはしないだろうし、こちらもそんな下種なことはしたくないので、ようやく彼のツイッターをブロックした。アーキテクチャがそのひとのふるまいやありかたを簡単に変形する。もちろん彼だけでなく、私もそういう環境のなかにいる。ふと、ツイッターのアカウントをひとつ作って、彼のフォローしているアカウントを全部フォローして、彼の眺めているだろうタイムラインを体験してみようかと思ったりもしたが、やめた。ときどき上演される舞台も、もうみていないが、次があればまた行くだろうか(DMはもう届かないけど)。だれかのRTで上演の告知を知るのだろうか。しかし、どちらにしても、ネトウヨは公の歴史を毀損し、私個人を慰撫するだけのドラッグのようなものにしてしまう。それでは「日本」として引き継がれるものは何もなくなってしまう。そんな態度を、ただ友だちだったからといって許容したくはない。
  • ダブスタ」といえば何かを批判したつもりになっている輩が、ほんとうに多いことに気づく。ダブルスタンダードの価値ということも考えたことはないんだろう。けっきょく「ずるい」が許せないのだ。自戒としつつ。

  • 昼過ぎから京都に出る。染・清流館のグループ展に出ている、むらたちひろさんの二枚一対の作品をみる。枠に張られたカンヴァスを用いて、イメージが浮かんでいる。絵画のようにみえるが、支持体の上に画材を積み重ねてゆく絵画とは異なり、支持体のなかに、支持体の地下に、染み込んでゆくのが、染色であると、むらたさんが説明してくれる。だから、裏からみると、ほぼまったく表と変わらないイメージがみえるという(絵画ではそんなことはほとんどなくて、裏は支持体の材料そのままをほぼ残している)。じーっと画面をみつめていると、眼が拡散し、惑い、揺さぶられる。
  • 京都芸術センターで「ケソン工業団地」展をみる。3階の資料展示がいちばん興味ぶかかった。J・トライアンギュラーの和室の展示もみて、帰る。

  • むかし、いい芝居をつくっていた友だちが、どうやらネトウヨになってしまったみたいで、歴史には通り一遍の興味しかなくて兵器のスペックだけが好きなひとだったので、近代史のお勉強というワクチンによる抗体がなかったんだろうけれど、やはりそれなりに悲しい。ツイッターでやりとりをしても、裏づけのないことばかりを喋るので、当然だが議論などにはならない(向こうはパヨクをロンパぐらいに思ってるだろうけれど)。残念だけど、上念司とかフォローしてる輩は、やっぱりバカだな。あと、その旧友が嬉しそうにリツイートしていた田中秀臣の記事を読んだけれど、その劣化ぶりには、あきれ果てた。あいトリの「表現の不自由展」は、日本人へのハラスメントなんだったって。アホすぎる。先日の『ブルータス』の名古屋特集でSKE48を語っていたけど、ほんと的外れというか、こいつ全然今のSKE知らないだろ……と思って、哀れだった(こんなのにインタヴュする編集者もそうとうセンスがない)。部屋のどっかには田中の本もあるだろうから、こんど出てきたら棄てよう。しかし、リフレ政策の実現のためには安倍のケツでも何でも舐めることにしたのかもしれないけれど、それがこのクソ増税だから、何もいいことなかったね、と申し上げるしかない。
  • そのネトウヨ氏から「おまえはパヨクか?」と問われて咄嗟に「保守反動左翼だ」と答えてしまったが、これからはブレヒト派と名乗ることにしようと思う。

  • ギャラリーパルクの「像を耕す」展のクロージング・トークを聴きに行く。家に帰って、洗濯物を取り込んで、河出文庫の『ベンヤミン・コレクション』(いろんな翻訳があるが、私はこれがいちばんしっくりくる)をめくる。「翻訳者の課題」は、藝術作品が「受容者を考慮に入れることが実り豊かなものとなるということは決してない。「理想的な受容者」でもダメで、「必ずや本来の道から足を踏み外してしまう」という。「いかなる詩も読者に向けられたものではなく、いかなる絵画も鑑賞者に、いかなる交響曲も聴衆に向けられたものではないからだ」。そして「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」では、こうだ。「無数のしぐさのなかで、写真家が「パチリ」と押す動作がとくに重要なものとなった。ある出来事をいつまでもとどめておくには、指でひと押しすればこと足りた。写真機は瞬間に対して、いわば死後のショックを付与したのだ」。
  • 蒲団に転がって、長谷川四郎が編訳したブレヒトの詩集を、またぱらぱらと読んでいる。いつの間にか眠っていた。

  • 朝、公園を通り抜けるとき、砂場のへりに腰掛けて、砂のトンネルを掘っている小さな男の子を見つめながら、父親だろう男が、缶ビールを呑んでいた。
  • 夜、山本君と電話で話す。どうしたって、写真の話になる。「考える前に撮らなきゃダメだよー」と、やっぱり云われて、頭を掻く。

  • 須田亜香里AKB48としてSKEからたったひとりで『ミュージックステーション』に出るので、職場からばたばたと帰宅して録画する。肩を出した衣裳の須田さんの、よく鍛えられてなめらかな背中は、とてもきれいでほれぼれする。須田さんは後列でもどこでも必ずきらきらしているけれど、もっと前のほうでぎらぎらしているほうがより素敵だ。
  • 洗濯物を干す。ぽつぽつと雨が降ってくる。自転車のブレーキを軋ませて、柚子が帰ってくる。
  • 畠山直哉の『まっぷたつの風景』をぱらぱらとみながら、好きなように撮るしかない、じぶんで決めて撮るしかない、と思う。
  • ジジェクふうにいうなら、我が国はもう「国家を無化する国家」としての「珍国家」みたいなものなのかもしれない。
  • タランティーノについては『ユリイカ』に載せた批評のゲラをなおしているとき、最後の一行をやっと思いついたので、これはもう少しいける。なので、あと一本は書くつもり。このままでは終わらせない。
  • 昨夜に引き続いて、写真を選んでtumblrに貼りつけている。ジャン・ジュネの『恋する虜』を買った。