多木浩二の『映像の歴史哲学』から書き抜いておく。 写真というのは何かがすでに写っているわけですね。写真そのものが「デノート」(明示的な意味を示す)しているわけです。そこには「レフェラン」(指示対象)があるわけだから、そのレフェランをキャプシ…
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