「ターナー賞」展/『軍人たち』素晴らしい!/ティルマンス「Lichter」展

  • 東京駅前に着き、そのままスターバックスに入り、温かいココアを飲む。十時前に店を出て、六本木ヒルズに。
  • 展望台からはジオラマのような東京の風景が眺め下ろせ、『パトレイバー2』の武装ヘリのパイロットはさぞ気持ち良かっただろうなと、前に此処に来たときも思った。この風景に速度とミサイルとバルカン砲が追加されるのだから。
  • 森美術館で、「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」*1を見る。小雨。
  • ギルバート&ジョージが圧倒的に古く見えたのは、作品の所為か? 
  • お、この展覧会は面白いなと思えたのは、90年代に入ってからの作品ばかりだった。
  • しかし'91年のアニッシュ・カプーア*2は金沢で見たもの*3のほうが遥かに圧倒的だった。作品に飲み込まれるような感じは、この大きさでは出せない。「ふーん」程度で終わってしまうのではないか。
  • '93年の受賞者レイチェル・ホワイトリード*4の、取り壊される民家の中にコンクリートを流し込み、型を取った作品には唸った。これは好きだ。
  • '95年のダミアン・ハースト*5の作品は、何度も写真では見ていたが、やはり「もの」として見ると、これは非常に見事な造形作品だと思った。そして、彼の薬剤のような名前がつけられたドット画は、確かに美しい。
  • すごく奇妙な残酷さとユーモアが混ざらずに水と油のままなのがいい'97年のジリアン・ウェアリング*6の映像作品。母と娘(半裸)が取っ組み合うものと、一時間じっとしてて下さいと依頼された警官たちが、集合写真のようにキャメラのレンズの前に並んでいるさまを映したもの。一時間が経過したことを知らされた瞬間、警官たちが思わず上げる歓喜の絶叫の大きさは、その瞬間、美術館全体に木霊するほどだった。
  • '00年のティルマンス*7は昔から好きだが、このひとは兎に角上手なのだ。
  • '02年のキース・タイソン*8の壁新聞みたいな絵画と真黒な筒状の大きな何かよく判らないものも悪くなかった。
  • ミース・ファン・デル・ローエの美しいベルリンの美術館の中を、深夜、熊の着ぐるみがウロウロして、もちろんミースの美術館はガラス張りなのでその様子は外から丸見えで、通行人がその熊を眺めていると、熊が近寄ってきて両腕を上げて威嚇する。通行人はケラケラ笑い、やがて飽きて立ち去る。熊もウロウロするだけでは疲れるのか面倒臭くなるのか、ゴロリと床に横臥する……と云うだけの、'07年のマーク・ウォリンジャーの映像作品も大変シニカルで可愛くて、好みだった。ウォリンジャー自身は可愛げのないオッサンなのもいい*9。もっと見てみたい作家だった。
  • 杉本博司展のときのような圧倒的な凄さはなかったが、概ね満足。会場の入口にちょこんと、ターナーの絵が一枚だけ展示されていたのが妙に可笑しかったが、ターナーの絵は、確かに現代美術の扉に位置していると思う。現代音楽に於けるワーグナーマーラードビュッシーたちのように。
  • 併設で行われていたサスキア・オルドウォーバースの映像作品の展示*10は、「プラシーボ」が大変良かった。看護婦と「幽霊」医師の「不倫」の恋と激しい自動車事故の顛末。J・G・バラードを読み返したくなったのだった。
  • 新宿に出てタワーレコードに立ち寄り少し買物をして、それから初台の新国立劇場に。ベルント・アロイス・ツィンマーマンのオペラ『軍人たち』の本邦初演の公演*11を見物する。総体的に、充分に高い水準の演奏だったと思う。
  • 東京フィルからこれだけの音を引き出せたのは、指揮補のトーマス・ミヒャエル・グリボーの功績が大であるとの噂をロビーで耳にしたが、しかし若杉弘の堅実な指揮と、これを舞台に乗せた芸術監督としての彼の姿勢は非常に高く評価できるし、20世紀オペラへの挑戦はこれからも続くようで、愉しみな限り*12
  • ヴィリー・デッカーの演出は、彼らしいと云うべきか、些か単調に過ぎるようにも思ったか、終幕で舞台がゴンゴンと動き出し、巨大な斜面を形成するドラマティックを見て、此処での衝撃に賭けたのだなと納得。歌手陣も非常に健闘していた。しかしこれがたった三公演とは勿体ない! 新国立劇場は初めてだが、毎回このようなレヴェルの上演ばかりなら、通い詰めたいものだ*13。しかし、やっぱりベルクの『ヴォツェック』より私はB・A・ツィンマーマンの『軍人たち』のほうが好きだな。
  • 充分に満足して劇場を出ると、さすがに傘なしでは我慢できないくらいに雨足が強くなっている。コンビニでビニール傘を買い、徒歩で近くの画廊ワコウ・ワークス・オブ・アートへ行き、ヴォルフガング・ティルマンスの「Lichter」展*14を見る。
  • 画廊は飾られている作品に値段が付いているのがいい。財布の中身は別にして、私は、じぶんの手許に置いておけるものとして、美術品を眺めるのが好きだ。そうやって眺めると、美術品とじかの関係を取り結べるような気がするからだ。例えば、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」は凄まじいものだったが、あの絵を所有できる場所があっても、私にはあの絵を引き受けられるほどの広さの魂の器がない。藤田のあの絵は、私一個人なぞを遥かに凌駕して、巨大なものだった。
  • ティルマンスの写真は「コンコルド」で知り、その後は、現代のナダールのような肖像写真のシリーズと、「フライシュヴィマー」が好きだが、きょうの個展のなかでは、総ての光を吸い込んで呼吸しているような、真黒な「Lighter 50」は欲しいなと思った。
  • 京王新線で新宿に戻り、立ち食い蕎麦屋でコロッケ蕎麦を食べ、タワーレコードで『ハチワンダイバー』の残りの巻を総て立ち読み、愈々することもなくなり、父の家に転がり込む。
  • 風呂に入るが、父の家の水は私のか弱い皮膚には強すぎるみたいで、痒くてしかたがない。どんな場所でも眠れる私が、蒲団に入ってからも朝の五時過ぎまで眠れない。。。。。。。