Mayの『チャンソ』をみる。

  • 「May」の『チャンソ』を見るためにシアトリカル應典院に。傑作。
  • そのままH監督と主演俳優氏、H監督のお友達と谷六方面にぶらぶら。たまたまH監督の主演女優氏とそのお友達と坂の上で遭遇し、再び文楽劇場のほうへ坂を下り、居酒屋に。駄弁る。
  • 帰り道、地下鉄のホームで、今日の舞台で素晴らしい役を演じたTさんと遭遇。今夜はひたすら遭遇の日だった。
  • 開演ぎりぎりに滑り込むのが常なのだけれど、ずいぶん混んでいるときいたので、少し早めに劇場に入り、ちょうど真ん中あたりのいい席がひとつ空いていたので、するっと滑り込むと、すぐ隣に、既知のH監督が、彼の映画と舞台の両方で主演を務めた俳優氏と一緒に座っていて、驚く。開演までの間ずっと、くだらない話に興じる。
  • 「May」の芝居は、これまでにも何度か見たことがある。
  • まずは、まだ劇団の名前が「May」ではなくて「劇団メイ」だった頃。二度ほどその舞台を見ていて、京橋の、屋根裏みたいな小さな劇場――今、検索してみたら、もうなくなっていた。倉庫を改造して作られた、或る劇団の稽古場を兼ねるスタジオだったそうだ――で見たそのうちの一本は、押井守のいわゆる「特機隊」物へのシンパシィを強く感じさせる世界観で、感情の吐露を敢えて押し殺しているふうな役者たちの演技と、登場人物たちがトレンチコートの内側に隠していたり、腰にぶらさげたりして持っている銃を統一しないことで、各々のキャラクタの性格づけに厚みを加えていたのが、強く印象に残っている。それが可能なのは、たとえば、同じグロックと呼ばれる拳銃でも、グロック18とグロック17Lは全然、性格が異なるからだ。……と、書いても、何のことだか、さっぱり判らないひとが大半だと思う。
  • この頃から脚本と演出と出演を兼ねていた金哲義が、だからそのとき、個々の銃の特性のいちいちを役者たちに説明したのかどうか、私は知らないし、また、こう云うような細部への些かマニアックな凝り方を、今の金哲義はもうしていないと思う。
  • しかし、演劇を見に行って、拳銃のそれぞれが既に帯びているキャラクタ性にきちんと気を遣って成されている演出を見たことがなかったので、そのときは、ひどく感心したのだった。
  • もちろん、観客に判るか判らないかではなく、細部にも神経を凝らすことは、作り手の側にこれだけのことをやっていると云う自信を醸成させるのだから、決して無駄なことではない。だが、その頃の「劇団メイ」に於ける細部への凝り方は、舞台と云うフレームのなかに建て込めた世界を、その枠の外の現実と変わらないぐらいの密度とリアリティへ向けてひたすらに充溢させることで、舞台を、丁寧に磨きこまれて、完結した世界をひんやりと閉じ込めている水晶玉のようにしてしまうことをめざしている、その顕われのひとつのようにみえたのでもあった。
  • それから、あっと云う間に、殆ど十年に近い時間が過ぎて、私が今するりと、あっと云う間と書いたあいだも、彼らは演劇を続けることを止めず、ずっと舞台の上に立ち続けていた。だがそれを私は、偶に帰る実家で、送られてきていた毎回の上演告知の葉書で知るのみで、実際の舞台に接することはなかった。そして、最近の数作から再び劇場に足を運ぶようになった。
  • 今回の『チャンソ』は、私が接したこれまでの「劇団メイ」と「May」の舞台で、最も素晴らしい出来だった。
  • 実に、傑作だったと思う。
  • 脚本と演出の練られ方、音楽の大胆な使い方、役者たちの演技、どれを取っても非常に充実していた。
  • 演劇は結局、その場に立ち会うことができたか否かがとても重要な要素をしめる藝術で、謂わば、ナマモノであるので、見逃した方は、お気の毒である。
  • ……と、これだけ書いておしまいにしてもいいのだけれど、劇評を書くことを引き受けている限りは、こんなので終わらせるわけにもいかず、締め切りはとっくに過ぎていて、関係者の方のブログを見に行くことすらできない――ミクシィで「足あと」を残すなど言語道断である――小心な私であるけれど、いろいろ書き記しておきたくなる舞台であったので、やっぱり、もう少し書いてみる。
  • 劇評を書くことを前提に舞台をみていると、じぶんが書くはずの劇評のほかに、他のひとが書くであろう劇評のことが気になってくる。
  • そして私は、客席の暗がりに身を沈めて『チャンソ』を見ながら、きっと、この劇評を書く人たちの何人かは、「半分のこと」しか書かないだろうな、と、ぼんやり思っていた。それは、スラヴォイ・ジジェクと云うひとの言葉を使うなら、現代の私たちを取り巻くありふれた、しかし奇妙なあれこれ、つまり「カフェイン抜きコーヒー、脂肪のないクリーム、アルコールの入っていないビール、(……)リベラルな多文化主義というのは、〈他者性〉を抜き取った〈他者〉の経験ではなかろうか」と云うようなことに繋がってくるのだけれど、これだけ引っぱってきても何のことやらさっぱり判らないだろうから、少しずつ説明してゆくつもりだが、どうなるかは判らない。
  • さて、「半分のこと」、と云うのは、これまでの人生のなかで、学生と云う時間を送ったことのある人間ならきっと殆ど誰でも、するりと感情移入や共感することができてしまう、高校生たちのドラマに焦点を絞って、『チャンソ』をみることだ。
  • 主人公の少年たちの高校への入学から始まり、すぐに教師たちから恐怖の洗礼を受け、やがて、同級生の女の子に抱く、淡い恋慕のようなもの。仲間たちと明け暮れる喧嘩。そして、友達がみんなじぶんよりずっと大人に思えて仕方がなくて焦り、しかし、じふんも何者かになれるはずだと云う自意識とプライドに押しつぶされそうになりながら悶々としている……これらは、金哲義による見事な台詞――何気ないようなふうで常に交わされるダイアローグと、鋭く突き刺さるような独白のコントラストの鮮烈さ――と、非常にシンプルで勁さのある演出、そして、役者たちの熱演によって、舞台の上にくっきりと確かな輪郭をもって、描き出されてゆく。
  • だから、激しく疾走し、派手に躓いて、転げまわるダイナミックな青春の劇として、この『チャンソ』をみることは、決してこの舞台を見誤っていると云うことにはならない。事実、それだけでも充分に、この舞台を堪能することはできた。
  • しかし、これは『チャンソ』の「半分のこと」でしかない。
  • では、残りの「半分のこと」は何かと云えば、それはふたつの要素から成る。
  • まずひとつは、この舞台は激しい青春の劇であるが、それは現在進行形の劇ではないと云うことだ。
  • 『チャンソ』と云う舞台では、その中心となる青春劇は、総て回想劇としてある。
  • つまり、彼らの鮮烈な青春がすっかり終わってしまった地点としての現在から始められ、ちょうど昭和が終わり平成が始まる頃の、過去の高校生のときを想い起こし、再び現代に立ち返って終わる、と云う構造で、『チャンソ』は作られているのだ。
  • そして、もうひとつの要素とは、『チャンソ』で描かれる高校が大阪朝鮮高級学校であり、そうであるから、登場人物たちの殆ど全員が、在日朝鮮人であることだ。
  • 劇の冒頭、北朝鮮の巨大な藍紅色旗をバックに、主人公たちのシルエットが浮かび上がるのは、決して伊達や酔狂ではない。
  • だから『チャンソ』の「半分のこと」とは、激しい青春の劇は総て、既に失われた過去のできごとであることがひとつ。そして、その劇を織り成す人物たちのほぼ全員が、日本から消えゆく在日朝鮮人であると云うことだ。
  • うろうろと語り始める前に、結論めいたことを先に云っておく。
  • この舞台から、「在日」や「朝鮮」なるものをすっかり拭い去り、すごくよくできた青春の劇としてみたとしても、感動したり、評価したりすることは、先程ちょっと述べたように、充分に可能である。しかし、それをやってしまっては、この舞台の抱えているものから、とても大切な部分を取りこぼすことになる。
  • もっと正確に云うならば、この芝居を殺すことになる。
  • しかし付け加えておくが、この芝居は、直截に在日朝鮮人と日本人の橋渡しをするようなことはしないし、在日のマイノリティとしての苦しさを訴えるなどと云うこともせず、また、みずからを卑下して、日本人を羨んで見つめているようなこともしない。繰り返すようだが、何しろこの舞台には、殆ど「在日」しか出てこないのだから。
  • だが、勘違いしてはならないのは、この舞台は同時に、謂わば特殊から出て普遍に至っている。徹底して「在日」の狭い民族的な世界を描くことではじめて、「在日」の枠を踏み越えることができる。
  • それは、チャンソと云うのは、この演劇の主人公の少年の名前であるのだが、同時に、朝鮮語ではその発話は、「場所」を意味する語でもあると云うことに、如実に示されている。
  • では、『チャンソ』に於ける「場所」とは何か。
  • 柴崎辰治が演じるこの演劇の主人公チャンソが淡い恋心を抱く同級生の少女ソナは、朝鮮の古い楽器である伽椰琴(カヤグム)――それは日本の琴によく似ている。どちらも由来は唐である――で、ヘンデルの「ラルゴ」を弾いている。チャンソは少女から、「アンタは「ラルゴ」なんか知らんわな」と云われ、「知ってるわい!」と応えると、「市川崑の『細雪』で聴いた。映画の最後で、石坂浩二が酒を呑みながら……」と語るのだ。
  • 云うまでもなく、市川崑の映画群のなかでも、ずば抜けた傑作の一本である『細雪』は、谷崎潤一郎の長篇小説を原作としていて、戦前の大阪船場ブルジョアの四姉妹とその暮らしをめぐる映画だ。石坂浩二は次女の婿養子の役で、彼は、なかなか嫁に行かずのんびりと暮らしている三女に、秘めた恋慕を抱いているようなのである。しかし、映画の最後のほうで、三女の縁談は突然するすると纏まり、彼女は結婚して、遠くへ行くことが決まる。他人の妻になり、もう決してじぶんの手の届かないところに行ってしまう義妹を想って、彼は川べりの小さな料理屋の二階の暗がりで、窓の外の、深々と雪の降りしきる黒い川面を眺めながら、独りで酒を呑み、はらはらと涙を零す。そのシーンに、ベッタリとした情感とは無縁な、さえざえとした、ちょっと滑稽味さえ寧ろ感じられる音色のシンセサイザで演奏されたヘンデルの「ラルゴ」の旋律が流れる。そうして彼は、義姉妹たちと出かけた桜の花見の光景を思い起こし、映画は、不意に終わる。
  • 『チャンソ』で使われる「ラルゴ」の旋律は、この市川崑の『細雪』のそれを踏まえているとみていいだろう。
  • つまり、この舞台で、チャンソに思慕されるソナを演ずる尹千紘によって実際に伽椰琴で奏でられる「ラルゴ」は、映画音楽っぽく云うなら、彼女とチャンソの「愛のテーマ」であり、同時にそれは、総ては起こってしまったあとで、既に、何かを変えたりどうにかすることはできないもの――ちょうど、川面に落ちるとすぐに溶けて消えてしまい、川の水に紛れてしまう細雪のようなものを表わしている。云い換えるなら、『チャンソ』に於けるヘンデルの旋律は、多くのできごとは不可逆的であることを、まるで唄っているかのようである。
  • 『チャンソ』に於いて「場所」とは、だからまず、両掌に掬った砂が指と指の隙間から少しずつこぼれてゆくように、どうしようもなく、失われてゆくものだ。
  • たとえば、ソナが属する朝鮮伝統音楽のクラブは、あとに続く後輩がいない。彼女は、じぶんが守ってきた場所を、あとからやってきた誰かに引き継ぐのを待ち続けている。しかし、彼女の傍らにいる同級生さえ、部活をやめてゆく。朝鮮大学ではなく、日本の大学を受験するために勉強しなければならないから、と。
  • とは云え、ソナは、その友達の選択が決して在日朝鮮人として特別ではないことも、況や、ソナを裏切っているなどと云うことでは少しもないことも、充分によく判っている。
  • 仲のよい友達の少女たちには、じぶんを育んだ朝鮮族としての血と出自に生きることのベースを置いてこれからやっていくんだと宣言する子がいる。日本社会のなかに入って職を得て、働くことを決めている子もいる。
  • でも、小さな背中に大きな伽椰琴を盾のように背負って、チョゴリの制服のなかへ身を隠すように、ひっそりと息をつめて電車で学校に通うソナは、これから自身がどうやって、どちらを向いて生きていけばよいのかを、まだ見つけられずにいる。
  • それは、朝鮮人だろうが韓国人だろうが日本人だろうが、所詮は現代の日本で暮らす高校生である限り、ごく当たり前なのだろうけれど。
  • そして、友達のひとりは云う。
  • これから、それぞれの道を行くようになり、朝鮮と云う共通の基盤を失うと、わたしたちは、今はこんなに仲がいいけれど、やがてちっとも話が通じなくなるに違いない、と。
  • その口ぶりは、如何にも高校生の女の子らしく、仲間が離れ離れになる悲しさから出た自棄っぱちなような、しかし同時に、私だけは民族を背負って行くんだと云う、生硬な誇りにも充ちているようすである。
  • しかし、その言葉を受けて、彼女たちのひとり、田中志保が演じている少女が云う。
  • なるほど、それはそうなのかもしれない。
  • しかし、「いづれどっかで、それぞれの道が交わることがあればいいね」、と。
  • この短い台詞に、この芝居の総てが凝縮されている。
  • チャンソとは、高い柵を、深い堀を巡らして、立て籠もることで得られるものではない。
  • 寧ろ、チャンソは、そのような頑迷な場所を棄てることでしか得られない。
  • それぞれの道を行き、迷い、彷徨し、躓き、起きて、働き、諍い、酩酊し、眠り、信じ、裏切り、怒り、愛し、泣き、産み、育て、看取り、息絶え……そうして生きて死んでゆくなかで、たまさか、各々の道が交差することが、すなわち人生だ。
  • そして、それこそがチャンソだ。
  • そのまま個々の道が重なって生まれたチャンソが、ひとつの流れとなることもあるだろう。再び緩み、ほどけて、別々の道に戻ることもあるだろう。
  • しかし、それはそれで構わない。
  • そもそも、私の、あなたの、各々の道が、これからどんなふうな軌跡を描いてゆくのかは、決して判らないからだ。
  • それは云い換えるなら、いちど別れても、何処かで再び邂逅することができるかも知れない、そんな交差点がいづれまた訪れるだろうと、楽観的に、高を括っておくことができると云うことでもある。
  • しかし、そんなユートピアみたいなチャンソが、そんな夢みたいな邂逅の瞬間は、本当に訪れるだろうか?
  • その問いに対して、私はもちろん、肯する。
  • その場所こそが、劇場だからだ。
  • 「May」の作品が上演されている劇場の客席は、ふつうの小劇団の客席と、ちょっと顔ぶれが違う。在日のコミュニティに属するひとたちが客席に混じっているからだ。だが、この芝居は、決して彼らのためだけに向けて作られているのではない。それは例えば、金哲義が劇場で配るパンフレットに記す短い文は、いつもとてもいいのだが、大抵其処には、朝鮮語を使うコミュニティを舞台化するとき、そのままでは言葉が日本人の観客にまるで伝わらないので、「リアル性に欠けて違和感を感じる方々もいらっしゃると思います」と但し書きが付されているのをみれば判る。「在日」だけを相手にするのなら、こんな翻訳作業は、寧ろ彼らの感情移入を妨げ、邪魔になるはずだからだ。
  • そして実際、同じ劇場のなかには、例えば私のように、近代化を国是とした日本による朝鮮半島の支配を、当時、欧米列強をプレイヤとして世界を舞台に行われていた「アタック25」のルールに照らすと、まるで仕方がなかったことだと考えている輩も座って、同じ舞台を見つめているのだ。また、嘗ての大日本帝国の末裔としての誇りも矜持もまるで感じられないから私は彼らが大嫌いなのだが、在日は俺たちに感謝しないとむくれている嫌韓の青年も、もしかすると私の席の右隣にいるかもしれない。左隣は、赤塚不二夫中国東北部で生まれたから日本人じゃなくて中国人だと思っている子供かもしれない。いや寧ろ、本当にそうであってくれたならば、どれだけ愉快なことかと思う。
  • 「May」の舞台が爽快なのは、その風通しのよさだが、それは、ひとはいづれ、東洋鬼子もチャンコロもチョンも、死んで灰になってしまうと云う無常観のようなものに通底しているのかも知れない。しかし、だからこそ、彼らは舞台を作り続けているのだとも思う。
  • 金哲義と「May」を舞台づくりに向かわせる最大のものは、やはり劇場と云う特別な「チャンソ」への、熱烈な信仰にも似たパッションなのだと思う。
  • それが情熱か受苦かは、問わない。
  • たまたま隣り合わせたH監督たちと、芝居が終わってから、そのまま居酒屋に流れ込んだ。それはとても、いい時間だった。
  • ところで私は、最近は専ら、朝鮮の民俗音楽シナウィの一枚のCDをずっと聴いている。『チャンソ』で演奏された音楽がとてもよかったので、ネットで適当に捜して買ったのだが、これを私は現代音楽を聴くようにして聴いている。音楽には大別すると、耳が溺れる音楽と、耳が深々と冴えてくる音楽があり、これはどちらかと云えば、きっと後者である。モートン・フェルドマンの音楽がそうであるように。