• 「しま」に起こされるようにして蒲団から出る。眼鏡を何処にやったのか判らなくなり、けっきょく柚子に探し出してもらう。
  • 柚子とカレーの残りと、プリンを食べる。TVのニュースで、黒のニット帽を被り、顔じゅうを覆う灰色の顎髭の男が毛布のようなものに包って床に坐り、長い指の間にリモコンを持ちながら、テーブルの上に置いた小さなTVを眺めているごく短い映像が流れる。隠れ家でのビンラディンの姿らしい。とてもよい映像だった。
  • 本を読んだりやめたりしながら、ヘレヴェッヘの振る《マタイ受難曲》を聴いている。とてもよい。
  • プールに行き、クロールで1200mを泳ぐ。いちど帰宅して風呂に入り、元町へ出る。電車のなかで、江藤淳の『1946年憲法 その拘束』の文庫版に収められている「文反古と分別ざかり」を読む。

三島氏が「渾身の力を傾注して」そのなかを潜り抜けて来た"戦後"という時代は、『鏡子の家』が書かれた昭和三十四年にも、『わが友ヒットラー』が上演された昭和四十四年にも、まさに終りかけているかのように見えた。同じ"戦後"が、昭和五十四年の今日もまた、まさに終りかけているかのように見える。
おそらく日本の"戦後"という時代は、このように幾重にも繰り返して終って行くのである。そしてまた、その間に、幾人もの文学者が"戦後"への訣別を歌うのである。