• 名古屋市美術館の「ビュールレ・コレクション」展をみるつもりで家を出たが、きょうを逃すとギャラリー・パルクの麥生田兵吾展を見られなくなることに気づいて予定を変更。梅田から阪急で烏丸まで出て、傘を差しながら歩いて、ギャラリー・パルクまで行き、「麥生田兵吾:Artificial S 5 心臓よりゆく矢は月のほうへ」展をみる。
  • この麥生田兵吾の個展は、隆起と沈降のあいだで展開される。
  • ギャラリは二階から四階まで、細い階段を使って上がってゆく。
  • まず二階の壁には、子供たちが遊んだり睦みあっている様子の写真が同じサイズで並べて貼ってある。
  • 幼女のまんまるな腹部や、川遊びをしている少年たちの、贅肉がないのでぽっちりと芽のような臍や、空に飛び出すように漕いだブランコだったり、カメラに突き出した男の子の両腕だったり、写真のそこかしこに、盛んに萌えいずる隆起のさまが映されている。
  • これらの写真に囲まれるように、空間の中央には、何かのデータを圧縮したのか或いはノイズだろうか、全体的には鮮やかなピンクにみえる、細かなストライプが横に走っている大きなプリントが展べられているのだが、その中央は、プリントの下に、一メートル半はないぐらいの長さの、四本の角材*1が2×2で積んであるため、やはり隆起している。
  • 積んである角材を意識すると、子どもたちの眩い姿の写真のなかにうたれた句読点のように、地面に横倒しになった、朽ちかけた木の柱が映っているサイズの小さい写真が三枚、貼ってあるのにも気づく。これは、墓碑であるらしい。
  • 壁の隅にはiPhoneが置いてあり、昆虫や小動物の死骸が蟻に食われたり蛆が湧いたりしている短い動画がループしている。床の上にじかに置いてあるので、これを見ようと思えば、しゃがみ込むしかない。ふと、幼いころ道端で、こんなふうにして、蟻の巣の穴なんかを眺めていたのを思い出す。
  • 細い階段を折れながら三階に昇る。このフロアは、広い踊り場ぐらいの広さである。観音開きの扉が開いていて、棺桶を支えるのだろう、三筋に並べられた煉瓦がみえる火葬炉のなかを捉えた写真がかけてある。二階の会場の入口すぐに、この展示のフライヤーにも使われていた、ふたりの女学生の写真を使った短い映像作品と並べて、扉がぴったりと閉められている火葬炉の写真があったのを思い出す。
  • 開いた火葬炉の写真の正面には、枇杷の葉叢の前を飛び交う綿毛のような白い羽虫の映像を映すモニタが向き合っている。この映像は、十数秒だけ動いて、たぶんそれとおなじ時間だけ静止するのを、ループで繰り返している。そしてもう一点、柔らかいフェルトの毛のような、灰色の夥しいウジがびっしりと覆っていて、下顎はもうすっかり白い骨が露呈している子鹿の骸の写真も掲げられている。
  • さらに急で狭い階段を昇って四階に上がるが、このフロアには、ほとんど照明がない。階段を昇ったすぐのところの壁に、洞窟のなかにストロボを立てて撮っている大きな写真がある。閃光のあと、洞のなかはふたたび闇に覆われただろうか*2
  • 四階は奥にも広い部屋があるが、こちらも展示してある作品の上に、天井からぶらさげたちいさな電球が幾つか点っているだけで、ひんやりしたくらがりで充たされている。ほとんど光のない壁面には、真黒な地に、縦に捩られたような、やはりデータを圧縮したものか何かのノイズの明滅した跡のような写真が数枚かけられている。二階で隆起していた、ピンクの大きなプリントとは対照的だが、それぞれの画面上で、微かな痕跡を残している引っ掻き傷のような光のありさまは、通底しているように感じる。
  • 部屋の奥には、4×5の大判カメラが、まるで引き伸ばし機のような恰好で、レンズを床のほうに向けられて、鎮座している。レンズの真下には台が設けられていて、その上にはホイジンガの『中世の秋』が拡げてある。ページの上には、胸元を装った女が横たわって、双眸をこちらに凝っと向けているイメージが、カメラの奥から投影されている*3
  • そして、部屋の入口の脇には、この俯いた大判カメラと対面するかのように、ロッキングチェアが一脚置いてある。
  • 椅子の真上には、小さな灯りが天井から一本垂れている。
  • 腰かけてみる。
  • すると、大判カメラの足許に、揺らめく椅子に腰かけた私の全身のイメージを、ぴったりと収めるくらいのサイズの鏡のような真黒のパネルが、立てかけてあるのに気づく。
  • 椅子の上にぶらさげられている豆電球のような照明は、私の頭の真上にあるので、顔のほとんどを強い影で覆い、あとは肩や胸の上のあたりを強く照らして、幽霊のようなポートレイトを、正面のパネルの上に投影している。
  • 椅子を揺らす。揺れとともに、顔の上に光を浴びたり逸れたりしながら、じぶんの前に現われている、映像をみつめる。ナボコフがその自伝で書いた「赤ん坊の揺り籃は深淵の上で揺れているのだ。私たちの一生は二つの無限の闇の境を走っている一条の光線にすぎない」という一節を思い出す。そして、この椅子に腰かけたままでは決して見ることができない、大判カメラのレンズの真下には、誰だか知らない或る女のポートレイトのイメージが、さまざまな死の諸相で溢れかえる本の上に、今も投げかけられているだろうことを思ったりもする。「……ただ二つの闇はまったく同じものだが、私たちは(毎時およそ四千五百回の鼓動数で)いまめざしている闇よりも誕生前の闇の方が安心して眺められるらしいのである。」
  • ほかのひとがやってこないのをいいことに、ロッキングチェアに身体を預けたまま、大判カメラの脚に立てかけられたパネルの映像――固定されることがないので、写真になりきれないイメージを、ぼんやりと見つめ続けていた。椅子から立ち上がると、それは、たちまち消え失せるイメージである。
  • ふと、頭の後ろの壁面にも、写真がかけてあるのに気づく。
  • 首をめぐらして、目を凝らしてみると、観音開きの扉をぴったり閉じた火葬炉の写真だった。たぶん、二階の入口にかけられていたものとおなじだろう。すると、ここは火葬炉の中か、と思う。しかし、稼働しているときの火葬炉のなかは、今ここで包まれている重い闇ではなく、強烈な光と炎が充満していることだろう。
  • 二階には、子どもの腹や組まれた木材など、盛んに隆起するイメージが提示されていたことは既に述べた。ところどころに挿し込まれた朽ちた墓碑の写真や、床の上におかれたスマホのなかの生々流転のさまはそれを裏切るようではあるが、これは三階に波及して、ウジが湧いて、厚みを失いつつある獣の死骸のイメージへと接続された。火葬炉の扉は開いて、そのなかの窪みが曝け出されていた。隆起から沈降へと、イメージのありようが動いたのである。この動きは、四階ではますます加速して、立てかけられたパネルや開いた本のページのおもてに、つかの間だけ留まるイメージにまで薄くなり、沈み込んでゆく。
  • ずいぶん長い間、椅子の上でだらだらと過ごしていたと思う。頭の上の照明がつくる、くらがりと明るみのなかを出たり入ったりしすぎたせいだろうか、ふと、だれかが部屋に入ってきたような感じがした。気のせいだったのだが、それをきっかけにして、ようやく椅子から腰を上げた。その私に、慌ててくっついてくるかのように、パネルのなかから中年男のポートレイトが逃げ去るのを、ちらりと見た。
  • 昇ってきた階段を降りようとした。そのとき、壁に張り付くようにして、もうひとつ上のフロアに昇る短い階段があるのに気づいた。階段の手前には、この展示のフライヤーが一枚、宙づりにされてある。
  • フライヤーに刷られているのは、正面を向いて並んで写っている女子高生ふたりの間に、細い月が出ている写真だ。ピントは、月にぴったりと合っているので、手前の女の子たちの顔は、ボケていて、目鼻立ちが辛うじて判るくらい。ところが、四階で宙づりにされているフライヤーの、この女の子たちの眼のところは片方ずつ、ペンか何かで刺し貫いたのか、穴が開けられている。穴のぐるりの向こうには、ささくれのように、ぷっくりと紙が拡がっている。沈降の果ての、隆起だろうか、と思ったとき、二階の入口の映像作品に、何が映っていたかを思い出す。
  • モニタには、今、私の眼の前にある、このフライヤーがアップで映っていたはずだ。しかし、この不気味なふたつの穴の向こうには、いたずらっぽい色を浮かべた、きらきらする瞳が映っていた。つまり、ふたつの穴で貫かれたフライヤーは、この誰かの顔を隠す、仮面のように使われていたのだ。
  • フライヤーの向こうからすぐ始っている階段は、昇れないようになっている。しかし、この先には、この誰かがいるのでなければならないだろう。いっさいの光がないすぐ上の階に、この誰かの気配が、ふいにむくむくと充ちはじめたのを感じて、階段をおりた。

*1:麥生田氏によると、長さはぴったり140cmとのこと。

*2:あとで、麥生田氏から、この写真は、カメラを載せた三脚と麥生田氏の間にストロボを置いて撮影した。すると、当然だが撮られた写真には、カメラの影だけが残されていて、後ろの麥生田氏は影もかたちもなく、確かにじぶんはそこにいたのだと断言できない場所に立っていたのだ、と聞いた。

*3:麥生田氏によると、光源はカメラのガラス(フィルム部)の上部につけてあるそう。