• だらだら読んでいる多木浩二の『映像の歴史哲学』から書き抜いておく。後半は、多木の講義というより今福との対談のようになってきて、薄まるのがかなり残念。

現実の世界がある。そして私たちは、世界についていろいろなことを考え、それを言語化し、知としてつくりあげる。ところが、現実世界と知とのあいだはかならずしも直結していません。むしろこのあいだに意味の不確定な膨大な領域があり、この領域が「表象(ルプレザンタシオン)」の領域であると考えられます。このなかにはほとんどすべてのものが入ってきます。(…)「世界」も「知」も分かれているわけではありません。「世界」だか「知」だかわからないところにいるわけなのです。(…)『プロヴォーク』が言語と写真の関係性を研究することを目標に掲げたのには、そういった一面があったからです。

絵画というのは、あるフレームで切り取ります。それも決定的に切り取るわけです。ところが写真というのはある意味でフレームはないに等しいわけです。あっちを向いても撮れる、こっちを向いても撮れる。どこを向いても撮れるわけです。そういうノイズに満ちた知覚を私たちが許容することができるようになったとき、単なる視覚の問題ではない、ある別の知覚が浮上していたわけです。それが一八世紀の終わり近く、一七七〇年代にはじまったことが分かってきました。(…)歴史の時間を順番に繋がっていく時間と考えず、どのようにでも往復できるような、あるいはどのようにでも交錯できる時間として考えてみる必要があるのです。そういったことを考えさせてくれるようになったのが、写真や映画の登場でした。(…)ボードレールは写真に撮られるときに、実際にそこにいました。その現実感というのはあるわけですし、いまも自分がもっている現実感がある。そこで時間感覚というのがかなり動揺するわけです。

多くの人たちは、藝術でも建築でも写真でも、最初から分かろうとしすぎます。そのうちに分かってくるものなのです。はじめから分からないものだ、ということを前提に見るには、建築が一番いいです。そうするといつしか本当に分かってくるのです。(…)東松照明が何か沖縄で大変なものを見つけて、これこそ何かの象徴だといって撮っているのではまったくないのです。彼と沖縄とのあいだの長い長い触れあいのなかにあるときにふと空に浮かんだ雲、それに向かってシャッターを切ったときにはじめて歴史と深く結びあうことができたのです。(…)私たちが知を形成する以前、そして世界が存在する以前にあったイメージの群れ、それがヒストリカル・フィールドなのです。