• 夜中に借りてきたBDでようやく北野武の『アウトレイジ 最終章』をみる。チンピラひとりを荷台に乗せた軽トラが、坂道を突堤のほうに滑ってゆくオープニングがほんとうに、めちゃくちゃ素晴らしい。映画が始まるより先に、もう既に始まってしまっているという感じが胸に迫る。
  • 今作は『アウトレイジ ビヨンド』のような、ぎっちりとした緊密さの映画ではない。すっかり老人の顔になったビートたけし(以前呑み会で二朗松田さんが「老人映画」と云ったことの正しさ)の顔を隠すサングラスを外して、その皺をみせているとき、映画は一気に動く(たとえば、とても見事な、ハイエースのなかでの銃撃戦。もちろんこれは『ソナチネ』のエレヴェータのそれを踏まえている)。『ソナチネ』には全力で死に向かう疾走感があったが、ここにはそんな溌剌としたものはなくて、偶然で(撃たれるタチウオ)緩慢な老いの齎す死への、足踏みのような抵抗があるだけである。
  • ヤクザたちが朝鮮人には日本語なんか判らないと思い込んで、相手の眼の前で悪口を並べるシークェンスは、もちろん『BROTHER』の「ファッキン・ジャパニーズ」であるが、ふと大島渚の映画(もちろん朝鮮人と日本の暴力を巡る映画でもあった『戦場のメリークリスマス』を含む)を思い出したりもする。北野武のフィルモグラフィのなかでずば抜けて優れている映画というのではないだろう。しかし、決して嫌いではない映画だった。鈴木慶一の音楽も三部作のなかでいちばんよい。