• 多木浩二の『映像の歴史哲学』から書き抜いておく。

写真というのは何かがすでに写っているわけですね。写真そのものが「デノート」(明示的な意味を示す)しているわけです。そこには「レフェラン」(指示対象)があるわけだから、そのレフェランをキャプションに書いたって意味が情報的になるだけであって何の意味も増殖しない。/たとえばある地形があるとします。その地形によって何がもたらされたか、ということについて、写真のなかに写っていないことを書け、と彼(名取洋之助)はしばしば言うのです。考えてみると、それはデノテーション(外示的意味)ではなくコノテーション(含意といってもいいし、共示的な意味といってもいいですが)を書きなさい、ということなのです。