• カメラが修理から戻ってくる。とても嬉しい。昨日まではiPhoneで撮った写真をアプリでいじってモノクロにして遊んでいたが、偽モノづくりも、もうやめだ。
  • 今日は朝から夕方まで、インテックス大阪でSKEの握手会の予定だったが、肺炎騒ぎのせいで中止になったため、逼塞して原稿の続き。コロナって名前は可愛いのに困りますねと井上るーちゃんが云ったらしく、秀逸。
  • ウォーカー・エヴァンス『アメリカン・フォトグラフス』のamazonのページにある『ニューヨーク・タイムズ』の評のgoogleによる自動翻訳。「ウォーカー・エヴァンスは、アメリカ人が自分自身を発見するのを助けました...うつ病に取りuntかれた魂が住む本」だそうだ。

  • 朝、仕事に行く前にカメラを宅急便で修理に送り出す。7月に買ってからずっと鞄の中に入れて持ち歩いていたので、急に肩が軽くなって、とても悲しくなる。しかたがないので、またiphoneで撮る。いつもはやらないことをしようと、撮ったのをアプリでモノクロにしてみる。偽モノ。
  • 京都はどちらかといえば大嫌いな街。

  • 「これは女が、大好きな男を撮ってる写真だ。見たら判る」と書いているのをツイッターでみかける。さすが不愉快の痰ツボことツイッター。写真にはそんなものは写らないだろう。見たって判らないだろう。ホンマタカシの「My Daughter」はどうなるんだ。写真は機械が勝手に撮ってくれるものであって、この機械は別に撮られている人間のことなんか好きでも嫌いでもないだろう。にもかかわらず、何かそういうものが映っているような気にさせるから、写真は面白いのかも知れないけれど。心霊写真か。
  • 写真を撮って歩いていたら、後ろから呼び止められる。振り返ると「ウチのクルマ撮ったでしょ。何で撮るの?消してください!」と女に絡まれる。さっきこの女の連れがクルマを出している手前で、別の家の塀を撮った。彼女たちもクルマも一切フレームに入っていないのだが「何で撮るの?」と再び問うてくるので「クルマの窓に映り込んだり壁に隠れたりする街の風景を撮っているんです」と答える。まるでストリートフォトの写真家みたいなことをいってるじゃないかと思うが、あとで山本君に云ったら「そのとおりだろう!」と返事が帰ってきた。なのに、カメラの調子が悪くなる。シグマのサービスセンターに電話をして、修理に出すことにする。
  • 蓮實重彦は誰某はバカだとか何だとか悪口をいうから嫌い、ああいう研究者になっちゃいけないと思ったと、若い学者がツイッター(またかよ。見るのやめたら?)で書いていた。蓮實はじぶんの批評家としての仕事は、バカにはバカだと云うことだと心得ており、なので研究者として云っているわけではない。しかし最近の蓮實を見ていると、殴り返される心配のない悪口ばかりいっていて、全然駄目だと思う。柴田駿の追悼にかこつけて伊丹十三を揶揄してみせたり(しかもこれが何かを匂わせる程度で、なんともべちゃっと湿気た書き方。ひとが嗤う蓮實の文体は、なるほどひたすらうねうねしているが、本来はからりとしているのだ)。

  • 洗濯物を干す。書き物のメモを作る。
  • 元町の古本屋に行き、全29巻版の『荷風全集』がまだ残っているのを確かめて取り置きする。荷風をまとめて読んでみようと思っている。
  • 梅田のヨドバシまで出て、自室のPCでNetflixをみるためのヘッドフォンを探した。i-Phoneに繋いで、ブーレーズの《プリ・スロン・プリ》とSKE48の《ソーユートコあるよね?》とマルゴワールの《ドン・ジョヴァンニ》を聴いてみて、オーディオテクニカのATH-AR3の音がしっくりきたので、延長コードと一緒に買う。
  • 高橋康也の『ウロボロス』所収の「鏡からの解縛」を読んだので、深瀬基寛の『エリオット』を再読している。
  • さっそくヘッドフォンを試すが非常に快適。『マインドハンター』の続きを見る。

  • 朝は柚子と「しま」に挟まれて眼を覚ます。
  • 洗濯物を干す。ベランダで写真を撮る。写真も今年はもっとバチャバチャ撮ろう。
  • 今年は批評を去年よりも努めて書く。出版状況というのはなかなか複雑怪奇らしいが、単著を出せるように準備をしよう。
  • 美術についての批評をもっと書く。そのためにはあちこち出かけて本も読んで、とにかく書こう。
  • それには『アラザル』も出さなきゃいけないし、映画の本数ももっと増やさねばならないし、もっともっと本も読まねば。

  • ホームドアができるまで、むきだしのプラットホームなんて、いちども怖いと思ったことなんかなかったが、あれができてから、ものすごく危ない場所に知覚され始めた。

  • 二度寝して、寝坊する。歯医者に電話をする。謝って来週に変更してもらう。
  • ネトウヨになってしまった友人の劇団サイトの上演歴をふと眺めることになり、それがもう十年以上前であることを改めて知る。これだけ経っても、幾つかの舞台の煌きと客席での興奮がまざまざと思い出される。そして、とてもつらくなる。その波が鎮まらないなかで、このままにしておこうかとも思ったが、しかし、このように蔑まれ憐憫されることを彼もよしとはしないだろうし、こちらもそんな下種なことはしたくないので、ようやく彼のツイッターをブロックした。アーキテクチャがそのひとのふるまいやありかたを簡単に変形する。もちろん彼だけでなく、私もそういう環境のなかにいる。ふと、ツイッターのアカウントをひとつ作って、彼のフォローしているアカウントを全部フォローして、彼の眺めているだろうタイムラインを体験してみようかと思ったりもしたが、やめた。ときどき上演される舞台も、もうみていないが、次があればまた行くだろうか(DMはもう届かないけど)。だれかのRTで上演の告知を知るのだろうか。しかし、どちらにしても、ネトウヨは公の歴史を毀損し、私個人を慰撫するだけのドラッグのようなものにしてしまう。それでは「日本」として引き継がれるものは何もなくなってしまう。そんな態度を、ただ友だちだったからといって許容したくはない。
  • ダブスタ」といえば何かを批判したつもりになっている輩が、ほんとうに多いことに気づく。ダブルスタンダードの価値ということも考えたことはないんだろう。けっきょく「ずるい」が許せないのだ。自戒としつつ。