• くまのパディントン』を読んでいる。昔小説の学校に通った時、田中哲弥氏が薦めてくれて、それからずっと読みたいと思っていたのだが、あれから何年経ったのかしら。「絵というものは、かいている最中はおもしろいけれど、なかなか思うようにはうまくいかぬものです」という「パディントンと名画」も楽しいが、「パディントンの芝居見物」がとても素敵である。

  • 午後からシネ・リーブル神戸でカンテミール・バラゴフ『戦争と女の顔』を見る。久しぶりの映画館。やはり疲れているようで、初め少しうとうとするが、好みの映画だった。マティスのような緑や赤の服を纏い、空っぽの黒い空洞を抱えた女ふたりがいて、その空洞を何とか埋めようとするがそれはとても難しい。彼女たちと関わる男たちを含め俳優の顔がいい。公衆浴場のシークェンスで画面に女たちの裸が溢れるが、ぞっとするほど不気味な肉塊として撮られている。ポスト絶滅戦争のドミニク・アングルのような、すさまじいショット。エフゲニー・ガルペインの音楽も好み。エンドクレジットで流れる歌が特に素晴らしい*1。もう一度見たい。
  • NewJeansの《Attention》はいい曲だと思う。
  • サイギャラリーからの案内葉書で、倉智久美子が昨年末デュッセルドルフで亡くなったことを知る。

  • 仕事の帰りにシネ・リーブル神戸でフィリップ・バランティーニの『ボイリング・ポイント』を見る。バリバリ仕事に精を出すような映画かと思っていたらそうではなくて、「アタマ沸いとるな」という言葉が関西にはあるが、「ボイリング・ポイント」とはこの「沸いとる」の意で、クリスマスの夜の混雑するレストランを舞台に、シェフの人生がぐつぐつ煮え立って、愈々、笛のついた薬缶のように「ピー」と鳴ってしまうまでの90分を描いている。
  • 90分はワンカットで描かれる。しかし、他ではなくこの対象にカメラが寄っていって画面のフレームを与えるということは、既にカットを割っているのだということもできる。

  • 昼からだらだらと新幹線に乗る。『アセンブリ』は荷物が重くなるので置いてきて、デイヴ・ハッチンソンの『ヨーロッパ・イン・オータム』を読む。副業・スパイに励むシェフが、レイザーワイヤーで仕切られた「マイ国家」の乱立する近未来のヨーロッパで繰り広げるビターなドタバタ。どこにでも行くけれど、どこにも出られない感じが大変好み。
  • 16時半から予約していたワコウ・ワークス・オブ・アートでのゲルハルト・リヒターのドローイング展に滑り込む。1950年代の作品も展示されていて、終末の浜辺のようなところを往く、小さな黒い人影がふたつ並んでいて、このダブルというテーマもまた、ずっとリヒターの作品にあるなと思う。ドローイングはここ数年の間に描き溜められたものばかりで、線の展開でも、やはり面と映り込みと翳りを立ち上がらせるのがリヒターだった。
  • 同じビルの中の開いているギャラリーを眺めて、コンビニで傘を買う。六本木から地下鉄で銀座に出てエルメスで田口和奈の《A Quiet Sun》展を見る。展示が上手だなと思う。フリーダの肖像を使った写真が良かった。
  • 銀座をぶらついて、地下の「ABCらーめん」に入って麻醤麺と半チャンを食べる。そのまま新橋まで歩いて山手線。御徒町の駅から少し歩いたところにあるホテルに着く。何も考えず、ドミトリタイプを除外して、風呂がついている都内のホテルを検索していちばん上に出てきたところを選んだ。

  • 仕事が終わってから柚子と灘駅で待ち合せて、駅の改札のモスバーガーで夕食。HAT神戸の109シネマズまでぶらぶら歩いて、バズ・ラーマンの『エルヴィス』を見る。トム・ハンクスの演じるパーカー大佐の走馬灯(『スタートレック』的な時間と距離の旅)という大枠があって、1930年代から1970年代までのエルヴィスを、ふたつのさまざまな場所(父と母、黒人と白人、売春宿と教会……)の間に置いて、その距離を動かすことによってエルヴィス像の見え方が変わるさま、変わらぬさまを繰り返してゆく。終わりにエルヴィス本人の最後のライヴの映像に切り替わり、映画全体の留め金のようになって締め括る。満足して帰る。