2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ふと、サドの『閨房哲学』をぱらぱらと読む。翻訳は澁澤龍彦のもの。「道楽者へ」と題された巻頭言は、こんな文句で終っている。サドは、いつだって明るい。 このみじめな地球の上に誕生してしまったからには、せいぜい己れの趣味と気まぐれの範囲を拡大し、…
帰宅して柚子と晩御飯を食べる。美味。TVをみていると、新しい我らの宰相殿は相田みつをが大好きだそうで、年末にはみつをカレンダーを配るらしい。相田みつをを心からよいと思っている宰相なんか彼がどんな政策を掲げていようが絶対に嫌だと、柚子を相手に…
ジェルジ・ルカーチ『リアリズム藝術の基礎』(編訳・針生一郎。未来社) 川崎弘二(編著)『黛敏郎の電子音楽』(engine books)
床屋政談ずきは右も左も「この国」って言葉を使うのだが、あれは、じぶんだけは外側から「この」と名指しできるような場所に出ることができているのだぞという表明なのだろうか? もしそうであるなら、馬鹿なんじゃないか、と思うだけなのだが。
ルイ・アルチュセール、ジャック・ランシエール、ピエール・マシュレ、エチエンヌ・バリバール、ロジェ・エスタブレ『資本論を読む』(訳・今村仁司。全3巻。ちくま学芸文庫)
しかし、例えば、私は何でこんなに『フルスタリョフ、車を!』が好きなんだろう。あるいは、モンテイロの『ラスト・ダイビング』一本で、ゴダールの三分の二と交換してもよいと思うのは、なぜなんだろう。私には、何かから私が大きな衝撃を受けるその仕組み…
夕方、アルバイトへ。拙宅の目の前の家の給湯器の上で、顔の白いキジトラの猫が丸くなって眠っている。先日、うちの庭を通って、「しま」とぎゃあぎゃあ喚きあっていた奴だった。
朝起きてゴミ棄て。町内会の当番が巡ってきたので、収集車が行ってから、公園の脇のゴミ棄て場の掃除。箒でささっと掃いてから、バケツに水を汲んできて、コンクリのゴミ棄て場にバシャッとぶちまける。 帰ってくると洗濯が終っていたので、ベランダに洗濯物…
柚子から、ホットケーキミックスを「ホケミ」と略すのだと聞いて、軽い驚きを味わう。
朝、台風がくるという話なので蝙蝠傘を携えて電車に乗り、降車すると傘を持っていない。駅の改札で遺失届を出してからシネ・リーブル神戸まで全力疾走して、ずっとみたかったマルコ・ベロッキオの『愛の勝利を』を、ようやくみる。クリント・イーストウッド…
名香智子の『パートナー』を読了する。 漫画再入門の続きとして、山岸涼子の『日出処の天子』を読み始める。
朝起きて、不燃ゴミを棄てにゆき、帰ってきて、「しま」がごはんを食べている、むっちりと丸っこい背中を眺めている。とても愛らしい。外でみかける猫ですら可愛いのに、うちにいてくれる猫が宇宙でいちばん可愛らしくないわけがないのである。
林道郎『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全七冊。ART TRACE)
フランシス・プーランク『二台のピアノのための協奏曲、フランス組曲、田園のコンセール』(指揮:ヨス・ファン・インマゼール。アニマ・エテルナ。ピアノ:クレア・シュヴァリエ。チェンバロ:カテリーナ・チロボコワ。Zig-Zag Territoires)
朝、太秦の宿を出て電車のなかでずっと眠りながら帰宅する。夕方からアルバイト。
朝、きのうの夜にやるはずだった、ブルース・フィンクの『ラカン派精神分析入門』を読みながら精神分析という思想のかたちに就いて考えるというゼミのイントロダクションをやる。少し詰め込みすぎたかと思うが、複雑であることを旨とするのだから、止むを得…
ディスカッションの途中で宿を抜けて、春秋座まで出て、「マラルメ・プロジェクトII 『イジチュール』の夜」*1をみる。彫琢されたマラルメの仏語の詩句を朗誦する渡邉守章の、老いた女形のような音色の声に、ほれぼれする。寺田みさこの舞踏には、時折はっと…
ロバート・ヘンライ『アート・スピリット』(訳・野中邦子。国書刊行会)
鈴木雅雄『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社)
ジャージ・コジンスキー『庭師 ただそこにいるだけの人』(訳・高橋啓。飛鳥新社)
イェジー・コジンスキ『ペインティッド・バード』(訳・西成彦。松籟社) 『フィリップ・ジョンソン著作集』(編・デイヴィッド・ホックニー、訳・横山正。A.D.A.EDITA Tokyo)
昼過ぎ、シアトリカル應典院まで出て、激団しろっとそん*1の『彼女が鎌を下ろすとき』をみる。「future」編をみてから、次の「friend」編の公演まで谷町九丁目の古本屋まで歩いて覗きにゆく。あまりに暑くて劇場に戻る道、「チョコモナカジャンボ」を買って…
名香智子『パートナー』(全17巻。小学館) マイケル・フィッツジェラルド『黒魔術の帝国 第二次世界大戦はオカルト戦争だった』(監訳・荒俣宏。徳間書店)
朝起きてリハビリ。帰宅して洗濯物を干して、柚子が作っておいてくれた飯を食い、きょう行かなければこのまま逃すと判断して、東京でも見逃した「建築家白井晟一精神と空間」展を京都工芸繊維大学美術工芸資料館でみる*1。 義姉のところのロシアン・ブルーの…
十川幸司の『精神分析の抵抗』に所収の「転移の言説、言説の転移」を読んでいる。 『一九六七年一〇月九日の提案』でラカンはパスという装置を設立した。これによってラカンはAME(パリ・フロイト派会員分析家)とは別にAE(パリ・フロイト派分析家)という…
きょうは朝からからりと晴れていて、家のなかへ快く入ってくる風が、大変気持ちがよい。ベランダに蒲団を干す。クセナキスのオーケストラ曲を大きな音で聴いている。オーケストラと云うシステムからどんな新しい音を引き出すことができるかを果敢に実践して…
朝起きて「しま」にせがまれながら網戸を開けるが、きょうは風がまるでなく、空気が重く澱んでいて、じっとりと暑い。本を読んでいても頭が廻らないので、扇風機にあたりながら、大井浩明がクラヴィコードで弾くバッハの《フーガの技法》を聴いている。
夜、家への帰り道で、街燈に蝉がへばりついて啼いているのだが、奇妙な間隔で、それがちょうど、ガイガーカウンタのかりかり云う音にとてもよく似ていたのである。