2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
朝からゴミを捨てに行き、近所のおばさんから柿の種とビールをもらう。ドホナーニの箱からブルックナーの《3番》を出して聴いている。大袈裟ではないが立派な演奏。たとえば、第二楽章の終わりあたりの集中して奏でられる弱音の織り目が緻密で美しい。第三楽…
原稿の続きを書かねばいけないので、残念だが今日は行くつもりだったレクチャーも欠席の連絡をする。寄るまでずっと調べたり書いたりを繰り返す。進んでいるのだが、落しどころは見つかっていない。これは或る程度の分量で終われるんだろうか、そもそも終わ…
ドホナーニのクリーヴランド管のボックスをやはり買ってしまったのが届いているので、帰りにコンビニに寄る。ブリュッヘンの『モーツァルトとの人生』も買った。もうカネがない。
晩御飯までの間、ぼーっと音楽を聴いている。イブラギモヴァの弾くバッハの《ソナタとパルティータ》の1枚目を聴く。とてもいい。晩御飯を食べてお茶を吞んで、書き物の続きをしながら(11000字は書いたがまだ半分か?)ウゴルスキのベートーヴェンの《32番…
福田和也が亡くなったのをKJから知らされる。 「みー」先生のいたお家に立ち寄って、「しま」が食べるはずだったちゅーるやら猫用の鰹節やらを貰ってもらえないかと言ってみる。おばさん「もう飼わないの!?」と心配してくれる。「ご縁があったらやねぇ」とも…
レバノンの無差別爆弾テロを伝える『ニューヨーク・タイムズ』から*1。 For the Lebanese, the second wave of explosions was confirmation of the lesson from the day before: They now live in a world in which the most common of communication devic…
朝からクイケン兄弟とロベール・コーネンでバッハの《音楽の捧げもの》を何となく聴いてみると、とても身体の中に染み込んでくる演奏で、書いているものの調子にもろに影響が出てしまうが、仕方がない。ネットフリックスで『愛のコリーダ』を途中まで見て、B…
『中野本町の家』を読み返している。何とも官能的な本である。早くに眠る。
昼飯を食ったあとに、炎暑の坂道を上がってから冷房の効いたホールに入ると気持ちよくて、眠気が盛んに興って音楽を聴くには不向きだったが、あとからやってきた隣の席の馬鹿がデカいケツを肘掛けの上の私の二の腕にぶつけてきて、ぶつぶつ文句を言っていた…
朝からDVDで大島渚の『愛と希望の街』を見て、『悦楽』を見る。梅木達郎の『サルトル』を読み始める。『愛のコリーダ』を途中まで見る。
朝から出かけて国立民族学博物館で洪智育、陳義雄の『一八九五』を見る。台北に旅行に行った時からずっと見たかった映画。家に帰ってきてYouTubeにアップされているのを見てみると、今日見たものは能久親王の死のあと森鴎外が池の畔に出て「凱旋は葬列のよう…
ロスバウトのブルックナーのボックスから《6番》を引っ張り出して聴き始める。大変好み。
大島渚の『キョート、マイ・マザーズ・プレイス』を久しぶりにBDで見る。大島のエッセイと映画の交差点のようなドキュメンタリーで、とても繊細で、大島のフィルモグラフィで、とても重要かつ大切な映画だと思う。 洗濯機を回す。ポテトチップスを食う。写真…
センター街の古本屋で埴谷雄高の『闇のなかの黒い馬』が500円で売っていたので、ちょっと欲しくなって買う。仕事の帰りにまた本屋に寄って、註文していた木下佳通代展の図録を引き取って、帰ってくる。 家の中で、ふとした瞬間「しま」を探そうとしてしまい…
夜は高砂ビルの「100BANホール」で喜多直毅クアルテットを聴く。とても面白かった。
昼間はあれこれ本をつまみ読みしたりちょっと眠ったりしてだらだら過ごしてしまう。 居間に入って柚子がいると「「しま」は?」と訊くのが癖になっていて、今日も何度も言いそうになる。そう言うと柚子が「まだこのあたりに浮かんでるだろうから言ってもいい…