1974年の激しい夏の嵐

  • 二年ほど前から再びワーグナーびたりになってから、私は『トリスタンとイゾルデ』は主に、1952年のカラヤンバイロイトで振ったものを愛聴している。悪趣味と云われようが何だろうが、マルタ・メードルのイゾルデと、ラモン・ヴィナイのトリスタンこそが、私にとっての最高のカップリングなのである。フラグスタートとメルヒオールではないのだ。他には、同じくバイロイトサヴァリッシュが1957年に振ったもの(イゾルデはビルギット・ニルソン、トリスタンはヴォルフガング・ヴィントガッセン)も好きだ。カール・ベームの振ったものは好きではない。私の耳にはそれは、何だか勢いだけの空疎な演奏のように感じられるのだ。
  • いちばん最初に私が買った『トリスタンとイゾルデ』の全曲盤は中学生のとき、カルロス・クライバードレスデン・シュターツカペレを振ってグラモフォンで録音した、CD四枚組のものだ。今はなき大月楽器の、梅田の新阪急ビルの地階にあったクラシック専門店で買った。今では銀色の外箱の角が、ところどころ剥げてしまっている。
  • ずいぶん前に第三ビルのシンフォニアで買って、とてもおざなりに聴いて放っていたカルロス・クライバーバイロイト・デビュウの録音(Golden Melodram)を、此処数日ずっと聴いている。カルロス・クライバーがライヴでこそ、その真価を発揮する指揮者であったことは多くの録音や証言で明らかであるが、この1974年のライヴ録音もまた、それに洩れない。
  • このライヴでのイゾルデはカタリーナ・リゲンツァ、トリスタンはヘルゲ・ブリリオートであるが、指揮者クライバーと、このカップルが奏でる『トリスタンとイゾルデ』は、若いふたりの突っ走る恋、である。明日なき暴走である。特に、息せき切って求め合う激しい不倫の愛の二重奏が延々と歌われるが、やがて密通の現場を夫に押さえられ引き離される、第二幕の盛りあがりぶりは尋常ではない(幕が閉じてからの観客の拍手の激しいこと!)。また、イゾルデの「愛の死」で幕を閉じる第三幕も、単なる勢いだけの指揮者ではないクライバーの手腕で、哀切たる美しさを湛えて、実に素晴らしい。このライヴ盤に比べれば、同じクライバーの指揮でもスタジオ録音のドレスデン盤は、硬質で高級な美しさこそあれ、またマーガレット・プライスのイゾルデも大変好ましいが、やはり物足りない。
  • 私がクラシックを聴き始めた子どものころ、ライヴ盤や古い演奏が嫌いだった。ライヴ盤は会場の雑音なども一緒に入るし、音が純粋でないと思っていたからだ。しかし最近は、クラシックだけはライヴ盤でなきゃ、と思うようになった。奏でられる音の緊張感が違う。それはなぜかと云えば、観客がいるからだ。凄い演奏のライヴ録音を聴いていると、その旋律の向こうに、演奏に圧倒され息をつめて舞台を見つめている観客たちの気配も記録されているのがはっきり判る。いや寧ろ、観客たちの食い入るような気配を感じるからこそ、所詮は電気信号でしかない録音からでも、その演奏が凄いものだったと云うことが判るのかも知れない。