やっと『カナリア』を観た

  • カーサ・ブルータス』の丹下健三追悼特集を立ち読みする。突然、じわっと目頭が熱くなった。よい記事だった。
  • 夕方、弟から『のだめカンタービレ』と『並木橋通りアオバ自転車店』の最新刊を借りに実家へ。祖母、体調すぐれずとのこと。駿河屋のプリンを貰って帰る。
  • 電車の中で『のだめ』を読む。嗚呼やっぱりこの漫画は面白い。ぼぎゃー。
  • 6時過ぎにUくんと待ち合わせて、塩田明彦の『カナリア*1を観る。凶暴な力を溜めに溜めた少年が少女と出会ってドンドンドンドン走って走って走って、最後は他人と手を繋いで、ゆっくり歩いてゆく映画。
  • 冒頭で、少女(谷村美月)が云う。人間は生きているだけで迷惑だ、死んでさえも肉体が残るので迷惑だと。小学6年生で援助交際をしている彼女の台詞は身も蓋もないが、これは真実だ。迷惑に迷惑を重ねる因果鉄道の夜(根本敬)が世間なわけで、そのループを断ち切れば人は他人に迷惑を掛けずに幸せになれるんじゃないかと考えるものもいる。例えば過激なテロルに走ったオウム真理教とかね。しかし、どんなことをしても、人はそのループから降りることはできない。死んでも迷惑は掛かるのだ。デリダじゃないが、どんなふうに死んでも「灰」が残るのだ。ならば、どうする。
  • この映画を見ていて、私は『2001年宇宙の旅』を思い出した。猿人が携えた武器としての骨のように、少年(石田法嗣)もまた、ドライバーを一本携えている。その先端を少年は、削って削ってどんどん鋭利にしてゆく。少年もまた、ループから抜け出そうとしている。しかし少年は最後、そのドライバーを棄てる。因果鉄道からは降りられない。ならば、腹を据えて行くしかない。その現実を、この身が無垢から遥か遠く離れていても、汚れていても、進むのだ。
  • 少年と少女を演じたふたりの子どもの芝居が凄い。他の役者も渾身。それだけでも見るべき映画。頭でっかちに付言すれば、オウムと震災以降の、謂わばアフター・ハルマゲドンの現代に於ける「倫理」を示した映画として、やはりこれはかなりのレヴェルで健闘している。
  • 映画を見終わって、Uくんと駅前の喫茶店で駄弁る。Uくんはいまひとつだったようだ。