九条アトミュージックホールの夜

  • やっと締切が明ける。夜、三宮でUくんと会う。「四天王」と云うラーメン屋で食事。頼まれていた福田恆存の本を、先日古書肆で見つけたので渡す。
  • Uくん、ジャン・ユンカーマンの『映画 日本国憲法*1と云う映画を観て*2、日本の近現代史に興味を抱いたらしい。戦前の日本人と敗戦から半世紀を経た私たちの心情や生活には共通点は多いこと(でなきゃ古い明治や昭和の文学や映画に共感したりできはしないだろう)や、ヒトラーのような独裁者は戦前の日本には一度も存在しなかったことなどを説明する。
  • 以前『AERA』に「九条と核武装の是非に就いて国会議員にアンケートを取った結果」と云うものが載っていて*3、それを読むと、九条堅持派に核武装支持派は一人もおらず、核武装支持派に九条堅持派は一人もおらず、何と頭の固い連中だと非常に残念な思いをしたものだ。
  • なぜ残念だったのかと云えば、それは私が以前から、「憲法九条護持、核武装賛成」の持論を持っているからだ。
  • 憲法九条の存在そのものが、日本が再び侵略してくると云うアジア周辺諸国が抱いている危惧を解消している、と云うようなことはないと思う。アジア周辺諸国が、日本の再侵略はないだろうと考えている根拠は憲法九条ではなく、単純に、この半世紀の間ずっと日本がアメリカ最大の同盟国になっている、と云う事実だろう。私は憲法九条と云うものは、敗戦を経験した戦後の(そして私たちに至る)日本人の心情に根ざす問題であり、その範囲を越えて波及するものではないと思っている。
  • さて、憲法九条のそもそもの起こりと云うのは、もちろん戦勝国アメリカが「日本は二度と立ち上がらねェように、ペンペン草も生えないようにしてやるべェ」と乗り込んできた際に「ワシたちに手向かいするような奴に刃物は持たさねェ!」と、帝国陸海軍なる武備を破砕したもの、と理解してよいだろう。しかし、その後に日本は自衛隊と云う刃物を持つに至るが、その誕生もまた、アメリカの意向であることは疑いえない。つまりそれはアメリカが、アジアでじぶんたちの最大の同盟国になれるのは、結局、共産化してしまった支那*4ではなく、日本だったと云うことを理解したからだろう。
  • では、アメリカの意向で憲法九条が持ち込まれ、次にまたアメリカの意向で自衛隊を持った(憲法九条の否定)と解釈するならば、憲法九条は既に失効しているのか? たぶん失効しているのだろう。しかし、敗戦後の日本人が憲法九条に「戦争ってのはキツかったし儲からないし、やるもんぢゃねぇなァ」と云う気分を重ねたのもまた、紛れもない事実だろう。その気分は充分に理解できる。だから憲法九条に最も似ているものを探すならば、それは祈りの言葉だろう。武器を棄てることなどできない世界の中で、しかしできるならばそうでありたい……。
  • 私は、戦争が大好きだ。戦争のイメージが、と云ったほうが良いだろうか。或る戦争の原因や経過、その時々の将軍たちや政治家たちの肖像、戦場の様子、兵士たちの武装や各国の兵器体系……興味は尽きない。それ故に、私は実際に出征したいとは思わないし、日本が他国を侵略することも望まないし、また日本が他国から侵略されることも望まない。だからこそ私の中では、憲法九条護持と抑止力としての徹底的な核武装は対になっているのだ。

*1:http://www.cine.co.jp/kenpo/index.html

*2:私の許にも試写の案内が来たが、出ているメンツを見てどーかなぁ?と思っているうちに、試写の日が終わっていたのだ。

*3:http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/aera/backnumber/r20030616.html

*4:ちなみに私は、太平洋戦争は帝国海軍の大暴走と、アメリカの対アジア政策の失敗が原因であると思っている。