美に骨抜きにされる

  • 昨晩は夜中のうちに仕上げてメールする筈だった仕事を、そのままにして転寝してしまい、曙光で目を醒ましてから、慌てて書き上げて送る。
  • それから9時過ぎには、朝食も摂らずに隣の駅前のショッピング・センターのチケットぴあへ。11月に日生劇場で演る、飯守泰次郎指揮の東京シティ・フィル『パルジファル*1のチケットを取るためである。貧乏だが、これだけは東京まで行くのである。だって『パルジファル』だもの!
  • 鼻息荒く乗り込んだが、並んでいるのは三人だけで、どっちが先頭だか判らなかった。もちろん『パルジファル』で並んでいるのは私だけだった。
  • 10時になるまでの間、ぴあのカウンターに置かれた『ぶらあぼ』の海外歌劇場の公演情報を眺めていたが、当然だが、やっぱりオペラは西欧のものだなァと溜め息が出る。連日連夜、私が観たい演目が必ず何処かで演っているのだから。
  • チケットは無事に確保できた。此処数年、演奏会にはさっぱり足を運ばなかったので、今回ばかりは奮発してS席を取った。帰宅後、柚子の焼いてくれたホットケーキを食べて朝食。
  • 柚子と一緒に、ロイド・ベーコン監督の『四十二番街』のヴィデオを観る。大西洋の向こうでは、ヒトラーが政権を掌握した1933年に制作されたこの映画は、監督の名前よりも、振付のバスビー・バークレーの名前で永遠に記憶される映画だ。彼の振付が炸裂する最後の30分間が物凄い。ひたすら目の快楽だけを追い求めて作られている狂気のような奇跡のような映像。女の美しい脚線美だけで織り成される万華鏡。ぞくぞくする。此処にはナチズムや未来派にも通じる、ジャズと摩天楼の頽廃と幾何学の暴力のふたつの美がある。嗚呼、たまらない。柚子は寧ろ、ちょっと気味が悪かったと云っていた。

  • 夕方から大阪に出る。駅でK嬢とU君と落ち合い、シアターBRAVA!へ。三島由紀夫の『近代能楽集』から、蜷川幸雄の演出による「卒塔婆小町」と「弱法師」を見物する*2
  • 蜷川の演出は、基本的に三島の脚本を、極く忠実に具現していた。「卒塔婆小町」の夜の公園には、椿を思わせる重くて真赤な花が、ぼたり、ぼたり、ぼたりといつまでも降り続ける。その濡れたような鈍く響く打撃音が、素晴らしい効果を上げる。だが、何故か舞台にはずっと、BGMが流れているのだ。これだけの仕掛けを考えながら、まったく余計なことをするものだと、演出家の耳を疑った。しかし、三島の台本は些かの瑕瑾もなく、役者の身体から台詞が発せられるたび、私の身体もまた、舞台に釘づけになる。BGMさえなければ、完璧な舞台だったかも知れない。演劇でこんなふうに身体が拘束される感触を味わうのは、久しぶりだった。
  • 「弱法師」も、演出は極めてオーソドックス。世界の美しい破滅をこいねがうロマン主義は、味噌汁の匂いのする日常生活に容易く回収されそうになる悲喜劇。最後の台詞のあと、背景の幕がずばんと落ちて、素っ裸にされた舞台に、市ヶ谷の総監室のバルコニーから三島が演説した際の録音が大音量で流れるのは、そういうわけだろう。私の席は二階だったのだが、一階では終演後、熱演しながら諸肌を脱いだ藤原竜也に向けて、総立ちになった女性たちの黄色い喚声がいつまでも止まなかった。しかし、そっちの方面はちょっと嗜んだ程度であるが(笑)、男の私も思わず凝視しちゃうものであるなァ。なかなか良い腹筋でございましたヨ。
  • 終演後、梅田まで戻るが目当ての喫茶店が早仕舞いしていたので、スターバックスで休憩。K嬢から、あれこれ興味ぶかい話を聞いた。蜷川のファンであるU君は、舞台が終わってからずっと押し黙ったままで、スケッチブックに何やらメモを取っていた。ふたりと駅で分かれて、ツタヤに寄ってヴィデオを返却して帰宅。
  • 帰宅後、U君から借りた村上かつらの『CUE』(全三巻)を一気に読む。『サユリ1号』よりも未整理で、投げ出された或る大きな塊状の漫画だが、私は好きだ。青春を描くと、このひとは本当に巧い。

*1:東京シティ・フィル『パルジファル』公演情報 http://www.cityphil.jp/concerts/2005season/parsifal.html

*2:『近代能楽集』大阪公演情報 http://theaterbrava.com/public/modern/