- 以前、喫茶店で隣の席に座った男女(交際するかしないかの瀬戸際に立っている様子だった)が、「やっぱり本だけはお金を惜しまないでいたいよね!」、「立花隆*1は気になった本を手当たり次第にカゴに入れて買っていくそうだよ*2」、「見習いたいよね〜」と云うような会話を交わしているのを聞いて、このひとたちは私と違ってなんて幸せなんだろうと思った。頬を紅潮させながらこんな会話を交わしていると云うことは、彼氏彼女は実際には本をそれほど買わずに済むひとたちなわけであり、きっと預金通帳にはちゃんと数十万、いや数百万だか数千万だかの貯蓄があり、定期預金も投資信託もマネーロンダリングもしているのだろう。本を買わずに済ませることができればどんなに私も幸せだろうか。財布の中の有り金を本に総て注ぎ込んでしまって帰りの電車賃がなくて茫然とすることもなかったろう。無論、私だって貧乏だから本を買うときはお金を大いに惜しむのである。だが、それでも新古本を置いている古書肆を利用したり、或いは次の給料が出るまで取り置いてもらったりして、何だかんだと結局は買い求めてしまうのだ。そんなことで外貨預金も財形貯蓄もできる筈がないのだ。嗚呼!畜生、畜生。
- さて、いつもより空いている朝の通勤電車の中で、鈴木淳史の『わたしの嫌いなクラシック』を読み終える。
- 「嫌いと云う感情を注視することこそが批評の原点だ」と説くこの本は実に面白い。例えば、私の最近のいちばんのお気に入りの指揮者であるティーレマンは、「悠々とB級路線を歩んでい」て、その音楽は「サッカーの試合に喩えると、中盤不在の戦術」で「とてもムラが多」く、だが「スロー・テンポで妙に歌わせる流儀が、曲にハマったとき、一瞬のキラメキを発揮する」と書かれている。なんて的確な評だ(笑)。他にも、幽霊の音楽を奏でるサイモン・ラトル評や日本社会からの避難所としてのクラシック音楽を論じた箇所なども面白い。
- ロレンス・ダレルの『バルタザール』に移る前に、ちょっと気になっていた古川日出男の『沈黙/アビシニアン』に手が出る。第一章を読んだ感触は、まるで滝沢聖峰の「Heart of Darkness」!!
- 事務所でぽちぽち仕事をしていると帰宅が零時。夕食はクリーム・シチュウ。入浴後、今夜も『ベルばら』の続きを読む。嗚呼、オスカルとアンドレが遂に……。個人的には貴族の立場を棄てられず懊悩するオスカルが見たかった気がする。ええい、フィンランド駅に繋がる啓蒙思想の害毒め! 『ベルばら』祭も、残り一冊と外伝で終わりだ。就寝4時。