ぼくたちの好きな戦争

  • 今日こそ早く帰宅するぞと意気込んで机の上を片づけていると、上司が「仕事の都合で行けなくなったので、もし良かったら行く?」と芝居のチケットを呉れた。
  • おおおおおっ、ベルトルト・ブレヒトの『母・肝っ玉とその子供たち』ぢゃねえか! 家で待つ新妻には悪いが、喜んでチケットを「無料で」譲り受け、西宮の兵庫県立芸術文化センター*1の中ホールに赴く。
  • 私たちの大好きな「戦争」の相を、ブレヒトは克明に描く。冒頭に登場する曹長の台詞から、一気に舞台に引き込まれる。それは云うならば、まるで平野耕太の『ヘルシング』の戦争賛歌のようだ。

「平和ってものは実に出鱈目なもんだ、戦争になって初めて秩序ってものが生まれるんだ。平和な時代には、人間はやりたい放題だ。人間も家畜もそこらじゅうでどんどんはびこる。(中略)この先の町には、若者がどれだけ、馬がどれだけいるかなんてことを知ってる人間はひとりもいねえ。数えたこともないんだな。俺は七十年もまるっきり戦争のなかった地方に行ったことがあるが、そこに住んでる連中には名前もないんだぞ。自分の名前を知らないんだ。戦争をやってるところに行けば、ちゃんとした帳簿があり、記録があって、靴は何箱、穀物は何袋と整理され、人間も家畜もきちんと数をかぞえて移動させるもんだ。それというのも秩序がなけりゃ戦争はできない!ってことをみんなが知ってるからさ。(中略)戦争も初めはそう簡単には起こせない。だが、いったん景気がよくなったら、後はずっと長持ちするのさ。こうなったら連中は平和と聞いただけでぎょっとするようになる。さいころ博打をやる奴がやめるのを怖がるようなもんだ、やめるとなったら負けた分は払わなきゃならんからな」(訳・岩淵達治*2

  • ぶはははは。全篇がこの調子だ。単純な反戦劇などではない。「呑む・撃つ・姦る」がやり放題の愉しい戦争、兵站線が維持できなくなればすぐに崩壊してしまう哀れな戦争、泡銭を掴ませてくれる豪気な戦争、じぶんの大切なひとがあっけなくくたばる戦争……それら戦争の総ての相貌を、スピーディーな展開と音楽でズバズバと繋いでゆく。
  • 戦場と軍隊の移動に付き従って動き、あれこれ物を売り捌いている肝っ玉と呼ばれる女行商人を演じる大竹しのぶ、料理人を演じる福井貴一など、役者陣は粒ぞろい。その中でも特に、肝っ玉が可愛がっている唖の娘カロリンを演じた中村美貴が抜群だった。
  • ブレヒトなんてもう古い。などと思っていたじぶんを大いに恥じた。

*1:http://www.gcenter-hyogo.jp/

*2:ちなみに実際の舞台では谷川道子の訳が使われていた。大変良い翻訳だったと思う。