18年前に出会った女と再会す

  • 梅田に向かう阪急電車を途中下車して、駅前から延びる商店街の中の某大型古書店へ。
  • ぶらぶらと棚を覗いて、気になっていた吉田修一の小説と、105円棚で福田和也の乃木将軍の評伝を買って店を出ると、今まで全然気付かなかったのだが、其処から数十メートルのところにもう一軒、如何にもこの商店街に古くからある風な古本屋を見つけた。
  • 初めて入る古本屋は、本当にどきどきする。なかなか渋い棚の景色で、満足しながらうろついていると、画集ばかりが収められた棚に、ホイッスラーの展覧会の図録があった。ホイッスラーはいちばん好きな画家なので、手に取って眺めていると、ずっと探していた絵に再会した。「メランコリー」だ!*1
  • 昔、と云うのは1988(昭和63)年1月13日から24日の間の何処かで、だからまだぎりぎり11歳だったわけだが、梅田大丸の展覧会で私はこの絵を見た。あんまり気に入ったので、家に帰って画用紙に模写してみたほどだ。だが時が経ち、それがどんな展覧会で、誰が描いた絵だったのかも忘れてしまい、脳裡に焼き付いた像と、「メランコリー」と云う絵の題名だけが残った。
  • のちに、絵への興味が再び芽生え、いろいろと見るうちに、ホイッスラーの絵を好むようになった。それは画面の構成等が、あの「メランコリー」に似ていたからだ。だが、残念ながらホイッスラーは「メランコリー」と云う題の絵は描いていなかった。
  • 私が「メランコリー」だと信じ込んでいた絵の題は「黒のアレンジメント No.2:ハス夫人の肖像」だった。ではなぜ私は、この絵を「メランコリー」だと間違って記憶していたのか。
  • 図録には、几帳面な前の持ち主が入れたのだろう、「京都新聞」の美術評の切抜きと一緒に、展覧会のチラシが挟み込まれていて、「ハス夫人の肖像」が大きく配われたそのチラシの惹句には、こうあった。
  • 「人はいつもメランコリー」。
  • 図録を見ると、この展覧会では「肌色と黒のアレンジメント:テオドール・デュレの肖像」や「ノクターン」などのホイッスラーの代表作も展示されていたようだ。だが私は本当に、「メランコリー」だけしか覚えていないのだ。