やっとこさクローネンバーグの反-西部劇を観る

  • 暦の変化と示し合わせたかのように、めっきり暑くなる。
  • 三宮のスターバックスでバナナクリームフラペチーノ。ベタな味だが、まあまあ旨い。
  • 夜、仕事を退けてから柚子と待ち合わせて、元町でクローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス*1のレイト・ショウを観る。夫婦のセックスと家族の愛と暴力との相関関係を描くクローネンバーグ流の脱構築的な西部劇。
  • 冒頭からラストに至るまで、とてもシンプルなのだが画面の構図がメチャメチャ決まっているのがまず素晴らしい。撮影監督は傑作『戦慄の絆』以降のクローネンバーグ映画の総てを手掛けるピーター・サシツキー。総尺96分の中に、些かも無駄なカットがない。
  • 脚本(ジョシュ・オルソン)も非常に緻密なのだが、映像と同様、その緻密さにこれ見よがしの煩さがないのが良い。
  • さて、この映画には夫婦のセックス・シーンが二度ある。
  • 最初は(たぶんハイスクールの頃のそれを取っておいたものだろう)チアガールのコスチュームを纏った妻と、田舎町でダイナーを営む朴訥とした夫とのセックス。互いの性器を口唇で愛撫するウロボロスの環のような69スタイルで、夫婦の間がぴったりと癒着して境界のない充足完結的な営み。
  • 二度目は、夫がかつてマフィアの一員で狂犬のように人を殺しまくっていたことを知った妻だが、同様の疑いを抱いた町の保安官から夫を庇う。保安官が出て行き、夫は妻に礼を述べる。だが妻は夫の中の殺人者に怒りと恐怖を感じていて、それを拒絶し、そのまま二階に逃れようと階段を登り始める。夫が妻を引き止めようとすると、妻は憤然と、夫の横っ面を思い切り張り飛ばす。直後、些かの融和も癒着もない、全き他者としての、レイプのような激しいセックスが階段の上で行われる。それは怖ろしく乱暴なセックスで、のちに裂傷を負った妻の背中(映画に於いて女の背中とは、何と雄弁なことか!)を映し出す静謐なカットが現われるほど。その背中の傷は、自動車事故による裂傷に女性器を重ね合わせたクローネンバーグの映画『クラッシュ』を想起させた。
  • どちらも、この映画の蝶つがいとでも呼べる重要なシーンであるが、夫が過去を精算して帰宅する(打ちのめされた野良犬のような顔のヴィゴ・モーテンセンが素晴らしい)ラストシーン、その後に営まれるであろう三度目の夫婦のセックス・シーンは、あのキューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』のように描かれない。
  • 三度目の夫婦のセックスに就いて(或いは三度目のセックスは行われなかったのか?に就いて)考えることが、この映画の眼目となる。
  • 夫婦のセックスと、世界に満ち充ちる圧倒的な暴力がパラレルに描かれる映画と云えば、スピルバーグの真黒な傑作『ミュンヘン』もそうだった。
  • 主人公の妻を演じたマリア・ベロが好演。登場するだけで画面の空気を変えるエド・ハリスはさすが。主人公の兄を演じるウィリアム・ハートの怪演も必見。
  • 劇場に置いてあった映画版『ハチミツとクローバー』のチラシを眺めていると、柚子が変な顔をしている。彼女の配役では蒼井優こそが山田さんらしい。ああ、確かに本当の美形はこっちだもんなあ。