藤田嗣治の最高峰はやはり戦争画だった

  • 激しい雨。夕方から仕事を抜けて、ようやく京都国立近代美術館へ「藤田嗣治展」*1を観に行く。「アンナ・ド・ノアイユの肖像」に感じ入ったり、日本に帰ったばかりの頃に描かれた「我が画室」と題された絵に、日本で最初の洋画である平賀源内の「西洋婦人図」が掛けられているのを見て、巴里のニッポン人だったフジタの心を垣間見たような気になったりするが、何と云っても圧倒的だったのは、戦争画だった。福田和也が以前、「大東亜戦争期に描かれた戦争画は、高橋由一にはじまる近代洋画のピークであり、近代日本美術最大の成果である」と書いていたが、まさにその通りだった。
  • 京都で展示されたのは四点である。『血戦ガダルカナル』は展示されず。
  • まず、『シンガポール最後の日』では、画面の隅々で、同時多発的に起こっている出来事が丹念に描かれていて(敵陣を突破せんとする日本軍の軽戦車や、草原に墜落した英軍の戦闘機に向けて駆け寄ってゆく歩兵たち、画面の左上から挿し込む優美で長閑な陽光……等々)、視線を動かしてそれらを追ってゆくと、まるで一篇の巨大な戦争映画を観ているような、或いは洋画で描かれた絵巻物を眺めているような、ウキウキと愉しい心持ちになる。もちろんこれは「勝ち戦」を描いた絵だからと云うのもあるだろう。この絵なら、じぶんの部屋に飾っておきたい。
  • 『神兵の救出到る』は、室内の描き込みの見事さ。豪奢な机の下に隠れているシャム猫の愛らしさ。白人に見棄てられた黒人メイドの乳房の巨大さ。は、妙に可笑しい。
  • さて、次に飾られているのが『アッツ島玉砕』。ずっと実物を見たいと思っていたが、まさに圧巻だった。こんなに画面が隅々まで充溢している絵を、私は見たことがない。創作衝動とか云うより、寧ろ「怨念」と呼ぶほうが、よっぽどしっくりくる。画面に近寄って細部に目を凝らしても(こんなに丁寧に兵士たちの軍装が描かれているとは思わなかった)、遠くから画面の全体を眺めても、揺らがない。ものすごい絵だ。もし可能でも、この絵を自室の壁に掛けておけるほど、私の精神は強くない。紛うことのない傑作だった。
  • そして、『サイパン島同胞臣節を全うす』。これも先の『シンガポール最後の日』と同様の、横長の画面で、画面のあちこちで同時にさまざまな事柄が生起しているが、私の心の裡で起る感情は先程とは異なり、「敬虔な」としか呼びようのないものなのだ。とても、とても静かな絵である。ただしそれは、とてつもなく激しい怨念を裡に秘めて、初めて実現する静謐さである。藤田嗣治が戦後に描く宗教画の総てを掻き集めても、この絵に漂う祈りの強さには適わないだろう。多くのひとが指摘するように、この絵は藤田の最高の宗教画である。
  • 画集や目録などと云うものの貧困と不毛を感じさせたのは、これらの絵だけだった。
  • 目録を買う。
  • 藤田嗣治戦争画を、最も深く理解した批評家である福田和也*2の『保田與重郎と昭和の御世』から、少し長くなるが引用しておく。

戦争画家たちは、日本の軍隊を、あるいは昭和の日本人たちを、彼方へ歩ませ、およそ稚さく、悲しい彼らのこころには納めきれないような、広く遥かで荒々しい砂漠や密林へと追い立て、連れていったものを画面に顕現させた。
画家たちにとって「戦争」は、画題にすぎなかった。入口にすぎなかったのであり、彼らは現下の「戦争」にかかわる昂揚や悲憤を描いてはいたが、彼らのフォルムが戦争でなければならなかったのは、昭和がその精神を、遥かであり超越するものを、「戦争」として表現していたからである。
藤田嗣治が戦後カトリックに入信したのも、当然と云えば当然だろう。その動機は敗戦や敗戦後に同胞や同業者が彼に示した醜態への絶望ではない。
(中略)大東亜戦争において、心で超越的なものに触れてしまった藤田は、西欧一神教の裡にその実在を委ねた。この経緯は、大東亜戦争が生んだ最高の戦争文学である『戦艦大和ノ最期』を書き、後にキリスト教徒となった、吉田満の場合も同様であるように思われる。

  • 上の階に上がって、ついでに所蔵作品展を眺める*3が、大好きなセシル・ビートンやラルティーグの写真があり、デュシャンの「瓶乾燥器」の壁面に映る影は他で見たときよりずっと美しく、かなり良かった。金田和郎の「水蜜桃」に描き込まれた猫の表情が良かった。
  • 河原町モスバーガーでイチゴシェイクを飲んで、会社に戻る。

*1:http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/347.html

*2:ユリイカ』のフジタ特集で村上隆椹木野衣のつまらない対談が載っていたが、会田誠福田和也の対談こそ読みたかった。このたびの「藤田嗣治展」で福田和也に原稿を依頼した媒体はあったのだろうか? もしなかったのなら、それは激しい怠慢だと思う。

*3:http://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/collectionGallery2006No03table.html