愉快な話ではない

  • 朝から頭が痛くなるようなニュースを読み、嘗て大江健三郎が「何故ひとを殺してはいけないのかと子供に訊ねられたら、まず殴れ」と書いていたのを思い出す*1
  • タヒチに住んでいる坂東眞砂子と云う小説家氏が猫殺しをしていることを書いた文が日経に載ったそうで、偉そうな名前を付けたって所詮は株屋の御用新聞、成るほど程度の低いものを掲載するものだわいと感想を持つ。
  • その後、ネットを徘徊すると、すぐに全文が転載されているのに出くわす。読後、ボンヤリ考えるが、頭が痛いと私が感じたのは、殊更こんなことを公衆の面前で書き連ねて、生や世界の真実の間近にいると思っているらしい、この小説家氏の思考のレベルの低さなのだ。「どうよ!?」と云った表情で鼻高々の、マセた中学生の文芸部員の書いたものに良く似ている、この文章の低さなのだ。私は猫が大好きだし、猫殺しをしている奴なんぞ最低だと信じているが、そんな私にすら、猫殺しをする者の心理の深奥を鮮やかに浮かび上がらせ、圧倒してしまうような文であったならば、吐き気は催すが、それは文学として、認めることができる。だが、さっきも云ったように文芸部の中学生並みの屁理屈が乾いた糞のようにこびり付いているだけの、この程度の文しか書けなかった小説家*2に殺された仔猫どものことを思うと、憐れで憐れで仕方がない。
  • 願わくば崖下に投げ棄てられた仔猫どもよ、無数の獣の骨の転がると云う野蛮な島のなかを易々と生き抜いて、いつか雲霞の如く大挙してこいつのもとへ押し寄せ、何ら物を見通すことができない愚鈍な目玉に深々と爪を起ててやれ、引きずり出して噛み千切ってやれ。三匹の母猫は仔猫の軍団のために、こいつの邸の扉と云う扉を、窓と云う窓を開け放ってやれ。

*1:ふと気になり調べてみると、大江はそんなこと全然云っていなかった(苦笑)。大江は「私はむしろ、この質問に問題があると思う。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。なぜなら、性格の良し悪しとか、頭の鋭さとかとは無関係に、子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから」と書いていた。あらま。小説家としての大江は本当にスゴイが、評論家としての大江は本当にダメだ。

*2:しかし日経やフランス大使館へ集団的に抗議を殺到させよう、とか、この小説家を吊るし上げようとか騒いでいる連中にも反吐が出る。彼らはヴォルテールの言葉を知らないのだろうか? この小説家はどうしようもないバカだが、バカは喋るな書くなとは私には云えない。ただし、発言されたものや書かれたものに対してバカだアホだクズだと云うことは大いにやれば良いのだ。ん? この小説家が書いたものを他に読んだことがあるかだって? トーマス・マンだって読み終えていない私にそんな暇が一秒もあるわけないだろ。バカ!(怒)