- 午る前に三宮のタワーレコードへ行き、昨日一緒に買おうか買うまいか悩んだムラヴィンスキーのライヴ盤を、やはり買う。
- 滝本誠の『映画の乳首、絵画の腓』を読了。
- 1990年に刊行されたこの本の上に黒々と落ちているのは、異常な好景気とエイズ禍とフェミニズムが席巻した、去勢恐怖の80年代の影だが、それでもなお、欲棒をおったてて、果敢にハイカルチャー系どスケベとタナトスの迷宮を進み、戻り、迷い、寄り道、抜け道、抜けられます、抜けられません等等の運動を万華鏡のように展開する滝本誠の姿勢は、永遠に古くなることはない。
- ラース・フォン・トリアーの『エレメント・オブ・クライム』を論じた文やタルコフスキーにフリードリヒの絵画を見る水と廃墟と女を巡る論が私の今の興味を引くが、何処を読んでもハズレなしのこの本の中で指を屈するとするならば「イヴ=イヴィル --ナスターシャ・キンスキーと蛇--」と題された一文。クララ・ボウが表紙の英米文学のアンソロジィに始まり、「アダム以前にすでに女は肉棒とたわむれていた!」で終わるうねりまくりのジェットコースター批評がスゴい。
貧しいながら自前の箱庭(コンテキスト)をつくりだすこと。
映画を他ジャンルに侵略させて、多層の虚構をつくること。好きな映画を何度も体験するためには、このいかがわしい作業に熱中することが不可欠なのだ。
「あとがき」より引用。ああ、座右の銘にしたい。