七年目の退職

  • 社長と会社の近くの喫茶店で話をする。
  • 三月いっぱいでの退職を了承して貰う。何も決まっていないのだけれどね。
  • 社長に拠ると、新しくひとは入れず、手持ちの人員の再編成で四月からやっていくことにしたと云う。私の担当していた部署は社長が担当し、整理縮小される。些か申し訳ない気持ちになるが、致し方ない。
  • 私の次の職場の話になり、もし広告や雑誌などの分野に再び向かうなら、なるべく大手にあなたは行きなさいと云われる。いろいろと「癖」がついてしまっているから、寧ろ全然違う業種で五年ほど頑張って、それから再び表現の仕事へ戻ってくることを考えたらよいのではないか、とも。
  • ただし、給料の多さだけで、興味が持てなかったり好きじゃない仕事を選んではいけないと釘を刺される。続かないから、と。
  • もうすぐ定年を迎える旦那に、五年程したら会社を譲り、一線から退こうかと考えていると社長が云う。
  • 女で社長を続けることの苦労を、ぽつりと洩らした。
  • 「例えば業者に、男の社長がガッと怒声を張る。すると「あそこの社長は怖いから気ィつけてな」となる。でも女の社長が同じことをすると、「あそこのオバハン、ヒス起こしよるわ」となる場合がどうしてもあるンよ」。
  • こちらが感情的になって衝突することさえ多かったが、私は、社長が女だからと侮ったりしたことはないつもりだったが、はたして本当にそうだったか、社長を女だからと軽んじたオッサンがウチの会社に数年いたことがあったが、私はあのオッサンの態度を真似たことはなかっただろうか?
  • ウチの社長は長らく、えらく無理を重ねているので、特に一去年あたりがピークだったのだが、その心身は共に今もガタガタである。弱気にならず、どうか元気でやっていってほしいと、口には出さないが少し思った。
  • 会社の帰りにツタヤに寄って、遂に堪らず沢田研二のCDを借りてくる。
  • 兵頭二十八『ヤーボー丼』読了。もちろんこの本の主題は副題「いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか」を一瞥すれば判るように、現在の日本が核武装をすることの合理性を熱く説くことにあるのだが、近現代の日本史を「「ほっといてくれ」からの乖離」であると説明する以下のような箇所に、兵頭の真骨頂があるのだと思う。ちょっと長いが引いてみよう。

外交に関する日本人の希望は明白なのではないだろうか。それは、「ほっといてくれ」の一言だ。
日本人は、何百年も前から、相互不干渉な「四海」を愛してきた。(……)国と国との交わりが水の淡きを超過すれば、そこには必ず上下関係が生じざるをえないことを厭うたのである。
孤立は絶交とは違う。貿易を止めるということでもないし、旅行者や金の流れや情報の出入りを制限することでも全くない。異国の文物を珍重するし愛好もする。だが、孤立は、こちらからはどの外国にも友好親善などは求めない。また、日本の安全のためになるならば地球のどこへでも軍隊を派兵するオプションは保持するものの、どの外国とも相互依存的な軍事同盟関係に入ることは欲しない。このような孤立こそは、日本の国是=ポリシーである。(……)
幕末、大きく変わってしまった東アジア情勢に直面してこの孤立ポリシーを堅持するために、日本は新しいポリティクスたる明治維新に踏み切った。とすれば、維新政府の政治的目的は、あくまでそのポリシーに準じ、日本一国の武威で異朝の干渉をはねのけ、孤立を維持することでなければならなかった。
ところが(……)元寇ルサンチマンと馬関戦争の誤った敗因分析から、朝鮮半島からのあり得ない脅威に備えて日本の防備には必要のなかった大陸軍を徴兵し、それによって天皇をも凌ぐ国内権力を掌握するに至った藩閥勢力(なかんずく長州軍閥)が、しだいに日本として不変のポリシーのあったことを忘れ果て、半島=大陸に展開するために、イギリス、ドイツなどの外国と結託するという、誤ったポリティクスを採用したのである。
したがって、1945年に土崩瓦解したのは、われわれのポリシーではない。日清戦争以来、日本のポリシーから乖離するばかりだった明治体制(私は”山縣国体”と呼んでいるが)の大陸癒着ポリティクスが、破綻したというだけである。
そして、戦後エスタブリッシュメントが策定してきた対米扈従ポリティクスも、大陸癒着ポリティクスと同程度に、日本の自然本来のポリシーに背を向けたものだ。

  • 白田秀彰『インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門』を読み始める。