歯医者に

  • 朝から義姉と姪がやってくる。義兄は風邪で伏せっているとか。昼前から自転車に乗って駅前のT歯科に。小学生の時からずっと同じ歯科医(Y先生)に掛かっていたのだが、正月の歯痛の折に診察を依頼した際、些かつれないメールが返ってきて、医院の場所も遠いので見切りをつけ、ネットで探して、名医だと評判なのと家から近いと云う理由で、決めたのである。
  • なるほど、確かに信頼のできそうな医師で、スタッフも仕事内容を熟知しているふう。正月に七転八倒の苦しみを与えてくれた奥歯のそれだけでなく、あちこちに虫歯ができていて、歯茎も弱ってきているとのこと。じっくり治していこうと云うことになり、今日はおしまい。医師から薦められたデンタルフロスを買って帰る。
  • 雨が降ってきた。帰り道にある古本屋に久しぶりに寄る。50円棚で初めて見たハヤカワSF文庫を一冊買い求め、慌てて帰宅。お好み焼きと焼きそばを食べる。
  • 姪はネコ科の動物が好きで、特にチーターがお好み。まだ発話できる語彙は豊富ではないが、チーターだけはえらく上手に発音する。その縫いぐるみを粗描したり、先日の蓮華嬢の二次会で配られたシャボン玉などで、姪と遊ぶ。
  • 彼女らが帰ってから、暖房の効いた柚子の部屋で昼寝をしたり、終日、拙宅のなかでぼーっと過ごす。
  • 中川右介カラヤンフルトヴェングラー』を読了。

カラヤンほど多くのレコードを残した音楽家はいないが、(……)聴衆を前にしたコンサートもまた、生涯を通して重視していた。カラヤンはレコーディングはコンサートのためのリハーサルだと考えていた。レコーディングのためとなれば、オーケストラは何度もリハーサルを繰り返すことをそう嫌がらない。しかも、費用はレコード会社が負担する。一石二鳥だった。

  • 逆に云えば、カラヤンの演奏のピークはレコードの中にではなく、そのあとに続くコンサートにあると云うことになる。鳴らそうとしていた音の違いがあるのは勿論だが、レコードなんぞ嘘だと喝破し、コンサートでこそ音楽の真髄は立ち現れると考え、オーケストラをみっちりと鍛え上げてそれを実践したチェリビダッケと、殆ど変わらないように思えるではないか。生前には発表されなかった、カラヤンの燃焼度の高いライヴ盤が、たびたび市場に出てきているが、インターナショナルなモダニストとしてのそれではないカラヤンの演奏が、もっと聴きたいと思う。特にオペラの分野で。
  • 私は、オペラ指揮者としてのカラヤンはやはり大したものだったと思う。この本の中でも触れられているが、舞台裏は実に険悪な雰囲気だったと云う1952年のバイロイトに於ける『トリスタンとイゾルデ』は、にもかかわらず絶品だし(EMIがきちんとした録音を残さなかったことが悔やまれる。フルトヴェングラーの名盤さえ翳むものになったに違いない)、最晩年の『ばらの騎士』なども蕩けるような素晴らしさだ。
  • しかし、フルトヴェングラーがもう少し長生きしてEMIで『指環』の全曲録音を残さなかったことと、オペラ全般に興味がなかったようだが、チェリビダッケが『トリスタン』を振らなかったことが悔やまれる。それから、ブルーノ・ワルターの人格者ぶりが印象的である。他の巨匠たちのチャイルディッシュぶりが目に余ると云うだけかも知れないが。
  • さて、このフルトヴェングラーカラヤンの凄絶な確執を軸に、チェリビダッケも巻き込みながら展開してゆくこの本の白眉は、やはり次に引く箇所だろう。まだ戦禍の癒えぬ1947年11月8日、ナチではないと認定され、再びウィーン・フィルを指揮するため、楽友協会ホールへ復帰したフルトヴェングラーは、ホールを取り囲むデモ隊と遭遇する。彼らはナチの強制収容所を生き延びた人びとだった。デモ隊に見つかり追撃された巨匠は、必死で楽屋口に逃げ込んだ。観客は早く演奏を始めろと叫び、外では警官隊とデモ隊が衝突している。

フルトヴェングラーはまるで何も聴こえないかのように無視し、スコアを読んでいた。しかし、平静を装いながらも、彼が動揺しているのは明らかだった。そんなとき、小柄な男が楽屋に入りフルトヴェングラーに囁いた。「何も気にしないことです。指揮台にのぼり、指揮をする。それだけでいいのです。音楽が始まれば、誰も抗議などしないでしょう」。フルトヴェングラーは、目の前にいる男を見て、びっくりした。カラヤンだった、カラヤンもまたウィーン・フィルを指揮するために、ウィーンにいたのだ。

  • どうだ、この傲岸不遜。
  • まるで、ファウストメフィストフェレスではないか。
  • そしてたぶんこのときばかりはフルトヴェングラーも、憎らしいカラヤンの言葉に心から同意したに違いない。そうだ、私の創りだす音楽を聴きさえすれば、と。
  • 第三帝国の落城寸前に、命からがらドイツから逃げ出したこのふたりの指揮者の心情を忖度して、小さいが密度の濃いこの書物の著者は、「自分が生き延びることがドイツ音楽を永遠のものにするのだ、というぐらいの自惚れを二人とも持ち、自分の亡命を正当化したのであろう」と書く。
  • しかし、この程度の自惚れのないものに、永々たる歴史を積み重ねてきたクラシック音楽と対峙することなぞ、できようはずがない。みずからを、長い長い流れの末端に位置し、それを継承してゆく者であると位置づけ、俺が何もしないまま死んだらクラシック音楽は終わってしまうと思いながら音楽を作っているものが、今どれだけいるだろう? たぶん、もうずいぶんな高齢だがブーレーズは思っているだろうし、大野和士も間違いなく思っているだろう、ティーレマンにもそれを感じる。
  • 政治的な正しさと、芸術の素晴らしさは、決して一致するとは限らない。しかし、それだからこそ、芸術は、政治的な存在でしかあり得ない人間(ふたりいればもう殺し合いができる)を救い得る、われわれが持つ唯一無二の通路なのではないか。