タツル・ウチダ・ザ・グレイテスト・ヒッツ

  • 読書は電車のなかが最も捗るのは、中学生の頃からずっと変わらない。あとは便所だ。
  • 内田樹の『下流志向』を読了。
  • 現時点で内田樹の本を一冊と問われたら迷わずこれを奨めるだろう。めちゃめちゃ良くできたベスト・アルバムのようなものである。
  • 時間論を軸にえぐり取られる、われわれの時代の教育と労働の姿はかなり衝撃的である。衝撃的だったり啓発的だったりする箇所は多いが、敢えて、最も美しい箇所を書き抜いておく。

ノイズをシグナルに変換するプロセス、これこそ「学び」のプロセスそのものだと思うんです。自分の理解の枠組みをいったん「かっこに入れて」、自分にはまだ理解できないけれど、注意深く聴いているうちに理解できるようになるかもしれないメッセージに対して、敬意と忍耐をもって応接する。そういう開放的な態度で耳を傾けないとノイズはシグナルに変わらない。ノイズはノイズであり、シグナルはシグナルであるというふうにきれいに切り分けてしまう人には、ノイズがシグナルになる変成の瞬間が訪れない。(……)
音楽を聴いて、リズムやメロディを味わうことができるのは、「もう聞こえなくなった楽音」がまだ残響していて、「まだ聞こえない楽音」の予感がするからです。今この瞬間に聞こえる楽音だけでは音楽は成立しない。過去の音がいまだ過ぎ去らず、未来の音がすでに予感的に到来している、そういうダイナミックなプロセスの中にあるときにしか音楽は音楽にならない。

  • 日本人の未来は、クラシック音楽とノイズ音楽を聴くことのなかにあるっ!!
  • 締切を、先月よりはマシな数字で何とか乗り切り、帰りの電車のなかで、けさ出勤間際の慌ただしさのなかで、本棚から出っ張っていたのをぱっと掴んで鞄に突っ込んだ、丸山眞男の『日本の思想』を読み始める。
  • 私が持っているのは、1977年5月10日発行の第28刷。生まれてはいるが丸山眞男を新刊で買うような年齢にはまるで達していない。カヴァーなしの頃の岩波新書で、最後の頁の右肩に鉛筆で100と小さな神経質そうな字で金額が書き込まれているから、古本屋で買ったのは間違いないが、さて何処で買ったのか。買ったのは高校の終わり頃か、大学に入った頃ではなかったかと思う。
  • 丸山眞男の新刊と私が本屋で対面するのは、やっと『忠誠と反逆』で、もちろんそれが最初で最後である。今、調べてみると1992年のことだから私が高校生のときだ。雑誌や新聞の書評欄で、必ず取り上げられていたのを思い出す。
  • ツタヤに寄るが何も借りずに帰宅。