- 「近代日本の思想と文学」と「あとがき」を読み終え、丸山眞男の『日本の思想』を読了する。私がこれまでポツポツと読み続け、大きな影響を被ってきたフランス現代思想、例えば構造主義やポスト構造主義、ポスト・モダニズムなどの議論や展開のその総てを、自前の思索と自前の言葉で、丸山眞男は先取りしていた。
- 小林秀雄との共感の強さに、私がこれまで抱いてきた丸山像が破砕される。不勉強なため、私は丸山の評伝やこれまでの評価を殆ど知らないが、丸山の書いたものを読むと、どうにも私には、強靭かつ柔軟な「伝統」のひとのそれに思える。
私は「日本の思想」でともかく試みたことは、日本にいろいろな個別的思想の座標軸の役割を果たすような思想的伝統が形成されなかったという問題と、およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかにストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、そこから出て来るさまざまの思想史的問題の構造連関をできるだけ明らかにしようとするにあった。これがどんなに身の程知らずの企図であるにせよ、私自身としてはこうして現在からして日本の思想的過去の構造化を試みたことで、はじめて従来より「身軽」になり、これまでいわば背中にズルズルとひきずっていた「伝統」を前に引き据えて、将来に向かっての可能性をそのなかから「自由」に探って行ける地点に立ったように思われた。
- もっと丸山を読みたいが、勉強会のために福田和也の『イデオロギーズ』を読み始める。
- 午後から試写で『クィーン』*1を観る。演出は手際が良く、内容は大変ブラックでシニカルな映画なのだが、俳優たちのアンサンブルが上品で軽快で、とても綺麗に纏められている映画。王党派の私(笑)としては、エリザベス女王に幼子が花を手渡すシーンで思わず落涙。しかし、こういう映画が登場人物の総てが存命中のなかで撮られると云うのは、やはり英国の国民性と云うべきか。
- 梅田阪急でピエール・マルコリーニのトリュフの詰め合わせを、柚子に買う。
- そのまま茶屋町のタワーレコードに寄り、取り置きのシノーポリとマデルナ(そう云えばシノーポリはマデルナを録音している。ふたりとも同じイタリアの現代音楽の作曲家出身の指揮者である)が振ったマーラーの「第九」などを引き取る。
- 帰宅後、柚子とお茶漬けを塩昆布で食べて眠る。