僕らの世界は常にピーカンのなかの曇天

  • 新人を連れて引継と新規の営業。
  • 昼から単独行動で、試写で『ブリッジ』*1を観る。自殺の名所ゴールデンゲートブリッジから墜死する人びとの「その瞬間」と、残された友人たちのインタヴューから成るドキュメンタリ映画。と云うか、見世物小屋
  • どうしようもなく安っぽくて退屈で憂鬱なスナッフ・フィルムだが、その安っぽさこそが、どんな死に方をしようが決して逃れられない現在の私たちの死と、彼や彼女が消えても続いてゆく世界の姿なのだろう。
  • 親しかった彼/彼女が自殺したいと最後の電話を掛けてくるとき、私は、遂にそれを止めることはできなくなっているだろう。そんな電話はこれが初めてではなくて、そのたび毎に彼/彼女は死ななかったのだから、どうせ今度も死にはしないと、おざなりな応対をするだろう。いや寧ろ、その瞬間、私の意識の前面を占めているのは、彼/彼女が世界に留まってくれるかどうかの心配ではなくて、またクソ鬱陶しい電話かよ、面倒だな。と云うものだ。
  • しかし、それでも、生きていてくれれば嬉しいと思う。私の精神の、世界の健康のために。なぜなら彼/彼女の自殺は、私への復讐であり、自爆テロであるからだ。彼/彼女は、違和感を感じる世界の側に留まり続ける私を、彼/彼女をツライ目にあわせる世界と重ね、その象徴であると捉えている。それだからこそ、世界との和解を夢見て、一縷の望みを託す電話を掛けてくる先も、私になるのだろうが。
  • そして、彼/彼女だけでなくそんな私すら、やがて、地上から人間が一人もいなくなってさえも、巨大な赤い橋は其処にあり、濃い海霧の流れの切れぎれから、再び姿を顕わすだろう。
  • タワーレコードに寄り、DCPRGの新譜を買う。事務所に戻る電車のなかで、苅部直丸山眞男』を読了。
  • 丸山の『日本の思想』を読んでいた私が最も面白かったところは、丸山が背負わされてきて、実際に読んでみるまでこちらも何となくそういうものだと思っていた、いわゆる「戦後知識人」だったり「進歩的文化人」と云う看板のイメージから、ズレズレにズレまくってゆくその傍若無人な思索の足取りにこそあったわけが、苅部の評伝を読み、やはり丸山は何とか主義者ではなく、正しく「伝統」のひとであると位置づけるほうが良いとの思いを強くする。
  • 中野雄『丸山眞男 音楽の対話』を読み始める。