最初の面接とチョン・ミュンフン

  • 激しい風雨。
  • 某社の面接を受ける。あれこれ喋るが、どうにも熱意が上滑りして、巧くアピールできたか、甚だ疑わしい。非常に面白そうな仕事をしている会社なので、何とか入りたいのだが、さて。
  • 面接を終えてから、父親と久しぶりに電話で話をする。彼と私は、とても良く似ているのである。非常に苦手だったのだが、この頃は、父と話をするのは、なかなか愉しいのである。
  • 五十嵐太郎『現代建築に関する16章』を読了。コンパクトだが非常に良く纏まっていて、勉強になる。特に「バロック」、「レム・コールハース」、戦後の日本建築界に於ける「縄文か弥生か」の、いわゆる「伝統論争」を論じた「日本的なるもの」の最後の文、「歴史と記憶」と「場所と景観」、「透明性と映像性」などの章が読み応えがあった。ところで、シュヴァルの「理想宮」を最初にシュルレアリスムの方から評価したのは、同じアンドレでもマルローではなくブルトンだと思うが、五十嵐らしからぬこの辺りの錯誤は語り下ろし故のものだろう。
  • 江村哲二茂木健一郎の対論『音楽を「考える」』を読み始める。
  • M女史と久しぶりにお茶。近況やらツヴァイクの『昨日の世界』のことなどを話す。読書会の課題に挙がっている『ゲド戦記』を、ぜひ読むように薦められる。非常に面白い!とのこと。
  • チョン・ミュンフンの指揮するフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団*1の演奏会を聴きに、今日は独りで大阪フェスティバルホールに。今回で49回目を迎える大阪国際フェスティバルの、変わらぬ古風なデザインのチケットが素敵。さらに、チケットの裏に「ご来場の際は国際フェスティバルの性格にふさわしい装いでお願いいたします」の一文が刷られているのが、これまた素敵。
  • フォーレの「ペレアスとメリザンド」で始まり、続いてラヴェルの「ダフニスとクロエ 第2組曲」。これが怖ろしいほどの緊張感に満ちた、やがて真っ青な焔が燃えさかる演奏だった。
  • 表情を細かに変えながら揺らめく、光彩のように奏でられる音楽は柔らかで、私のはらわたと円環状に温かく繋がっているかのように進んでゆくのだが、ふと気がつくと、やがて腹の芯底からすっかり冷え、ただの物と化した身体をブルドーザで片付けてゆくような音に変わる。第一次大戦の直前に書かれた曲であるが、まるで、ショスタコーヴィチの第八交響曲みたいなラヴェルだった。ものすごく邪悪なものが吹き出しているラヴェル。そして、決して雑な部分のない演奏。圧倒された。
  • 休憩を挟んで演奏されたストラヴィンスキーの「春の祭典」も見事なものだった。オーケストラから些かの乱れも感じられない合奏を引き出して、チョン・ミュンフンの作る音楽は、とても映像的。「春の祭典」のラストでは音楽の死が、ぷつんと切れて二度と繋がらぬ糸が、オーケストラの真上に、ありありと浮かんでみえるようだった。
  • アンコールは、ビゼーの「カルメン前奏曲。とても華やかで、のびのびと歌いあげる演奏だった。至福。
  • パリですっかり嫌気がさしてしまったらしいが、チョン・ミュンフンが振るオペラを実演で聴いてみたいものだ。
  • またもや義兄と駅でばったり出会い、同じ電車で帰ってくる。