雨。

  • 滝本誠師の『コーヒーブレイク、デイヴィッド・リンチをいかが』を読了。
  • 導師の本としては、驚異的な期間の短さで作られた本であるが故に、タキヤン式美術批評の、殆ど暴力的と云ってもいいぐらいの鋭いエッジが、モロ出しになり、箴言集の趣きさえある。
  • 例えば、次のように云い切ってしまえるのが、タキヤン批評の勘所なのだ。

ハリウッドでは役も私生活も混同してかまいません。すべて入り交じって溶解人間となるのです。

  • デイヴィッド・リンチのアートを評して、「成熟することのないリンチはプリミティヴそのもの、本能としてバカをやる。バカを実践に移し、結果を考えない無配慮な性格なのだ。ダダイストシュルレアリスト的なスキャンダル狙いの行為ではない」と喝破し、ついでにピーター・グリーナウェイの美術家としての資質を、「彼は徹底的に〈頭〉の人であり、〈手〉もまた〈頭〉の形をしている」と書き、グリーナウェイ作品を「テーマ展としての映画」と纏める。さて、タキヤン師の批評はどっちだ!?
  • 他にも、リンチのフェリーニへの敬愛(フェリーニが生涯の最後に会った映画監督は、たぶんリンチ)が論じられ、タキヤン師の次の著作として予定されている『ロバート・ヘンライ アシュカン派の創造』*1や『ジャズ・ノワール』の予告篇も収められているし、『マルホランド・ドライブ』を評した、たぶん世界で最も感動的な文も入っている。
  • つまり、兎に角、『インランド・エンパイア』は必見なのだ。

*1:『渋く、薄汚れ。』では『アシュカン派の美術 〈ノワール〉の発生』と題されていた本。