『石の微笑』を観る。

  • トルストイの『セワ゛ストーポリ』、だらだらと読み進める。
  • 戦場と云う人間性の極北で、その偉大と矮小を描こうとして、あまりに意図の絵解きをし過ぎ、小説としてはずいぶん未熟だが、しかし若きトルストイの目に映ったであろうセヴァストーポリの戦場の風景は、なるほど興味深い。繃帯所の描写など、もう悪辣なほどのコメディだ。

軍医たちは袖をまくり上げ、看護兵が蝋燭を捧げ見せている負傷者の前にひざまずき、苦しんでいる人々の恐しい呻吟や哀願にも頓着なく、傷口をしらべたり、さわってみたり、探針を入れたりしていた。(……)軍医が、広間の端の方から、砕けた脚にさわってみながら、叫んでいた。『さ、こいつをひとつ寝返らせい。』
『ああ、後生です、お願いです!』と兵隊は、自分にさわらないでくれと哀願しながら叫んでいた。
『Perforatio capitis*1.』
セミョーン・ネフェルドーフ、N歩兵聯隊附中佐。あなた、少々我慢して下さい、中佐殿、これじゃ仕様がありません----うっちゃっておきますよ。』と第三の軍医は、一種鉤ようのもので、不幸な中佐の頭をほじりながら言うのだった。
『ああ、やめてくれ! おお、後生だ、早く、早く、後……あ、あ、あ、あ!』
『Perforatio pectoris*2.……兵、セワスチヤン・セリョーダ……何聯隊だ?併し書かなくていい----moritur*3.あっちへ運べ。』と軍医は、もう眼球をあげて咽喉をぜらぜら鳴らしている兵のそばをはなれながら、言った。

  • 「一種鉤ようのもので、不幸な中佐の頭をほじりながら」と云うのが、何ともホラーなフック船長で……。
  • 午後過ぎより、東宝東和の試写室で、クロード・シャブロル監督の『石の微笑』*4を観る。
  • オープニングの、ハレーションぎみに捉えられたフランスの地方都市の港から、列車に乗り、車で移動し、やかで、娘が誘拐された或る民家の前に陣取るTVのワイドショウのレポータたちを捉えるまで、ずーっと横移動してゆくキャメラ、そしてそれはブノワ・マジメル(顧客からガミガミ云われる弱小工務店の営業マンと云う、実に親近感あふれる(?)役柄)の暮らす家の居間のTVの画面に繋がってゆくのだが、その一連の流れが実に気持ち良い。撮影監督は『アンブレイカブル』や『真珠の耳飾りの少女』などのエドゥアルド・セラ
  • さっさとやらせてくれるからと、不思議ちゃんと軽い気持ちでお付き合いすると、あとでとんでもない目に合うからやめておいたほうがよい。いやいや、体験談ではなくて(はははは、と力なく笑う)、この映画の話ね。
  • ぶすっとしていて少しも魅力的ではないのだが、人殺しの話をするときだけ、やたらと表情が輝いてずいぶんな美人に映り、しかも古い洋館の、洞窟のような地下室に暮らしているヒロインを演じるのはローラ・スメット。ナタリー・バイの娘だそうだ。おお、『勝手に逃げろ/人生』!
  • 石へのフェティシズムなど、ノワールと云うよりは、寧ろゴシックの趣きの強い映画だった。ラストの終わらせ方も良い。
  • ところでこの映画、ブリュッセルのホテルのTVで、後半をちらっと観たような記憶が突然甦ったのだが、さて。

*1:頭部穿孔

*2:胸部穿孔

*3:もう死ぬ

*4:http://eiga.com/official/ishinobisyo/