廃墟と水漬く映画。

  • スピルバーグの『宇宙戦争』では、云うまでもないがH・G・ウェルズが1898年に発表した原作小説と同様、『侵略してきた火星人は、火星には存在しない地球の微生物だの細菌の所為で勝手に死滅し、人類は救われる』。
  • 以上、ネタばれ。
  • と、云うわけで、あなたは映画の筋に気を取られずに、映画の画面に集中できる。すると、この映画の画面のとんでもない充実ぶりが、本土を攻撃された経験のない米国人が難民となった姿を、廃墟となった街を精緻に描写するスピルバーグの暗い情念が、ポーランド生まれの撮影監督ヤヌス・カミンスキーキャメラの冴えが迫ってくるだろう。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争と9.11を経た、われわれの時代の暴力を、スピルバーグは殆ど「幻視的な」と云っても良いほどの緻密さで、フィルムに焼きつける。
  • 主人公が自分にぴったりと合う靴を求めて、新しい命を宿した少女を護りながら、壊れた世界を徘徊する『トゥモロー・ワールド』は、われわれの時代が既にすっかり廃墟であることを、われわれが廃墟の中で風船を膨らませては、それを自分で叩き割る、その繰り返ししかできないことを映し出す。2007年、最も素晴らしい映画がこれだった。
  • 既にわれわれが、廃墟の中に住んでいることを見てとってしまった映画監督たちは、その映画の核に廃墟を据える。
  • 押井守の『アヴァロン』は、ポーランドと電脳空間に、その廃墟を求めた。
  • ポーランドと撮影所に廃墟を見い出した映画監督と云えば、デイヴィッド・リンチとその最高傑作『インランド・エンパイア』も挙げぬ訳にはいかない。
  • パリを美しいブラック&ホワイトの画面で捉え、ブルゴーニュをディジタルの荒いカラー画像に変容させたゴダールの『愛の世紀』だって、紛れもない廃墟の映画である。
  • 廃墟なしには成立し得なかった、ソ連(既に存在しない国家。廃墟としての国家)映画、アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』のデモーニッシュな美と、廃墟から滲み出す水。
  • バシュラールの云う「重い水」が、やがてじくじくと世界を水没させるさまを捉えた黒沢清『叫』と、世界を沈めようと降り止まぬ雨の中で総てが起こり、曇りなき晴天の下で世界が滅びるデイヴィッド・フィンチャーの『セヴン』、世界が廃墟の水にすっかり沈んだ後の世界を、黄金色に染め上げて捉えたラース・フォン・トリアーの『エレメント・オブ・クライム』、……。
  • 映画は戦場である。
  • 戦場は世界である。
  • 世界は廃墟である。
  • では、廃墟としての世界で、すっかり壊れた世界の中で、私たちはどのように、そして何を、語ればよいのか?
  • それを可能にするのは、未来の映画だ。アレクセイ・ゲルマンの『フルスタリョフ、車を!』を、その先駆けの圧倒的な一本として、挙げておくことにする。