『風の市』を観る/U嬢来たる

  • 午前中から出掛けて用事を済ませ、昼からシアトリカル應典院で「May」*1の『風の市』*2を観る。
  • 三十年ほど前の猪飼野在日朝鮮人の或る家庭に、済州島から密入国で一人の男がやってくる。彼がやってきたことから起こる、一種のドタバタがこの芝居の面白みの第一なのだが、それを支えているのが、登場人物たちの詳細な「書き込み」なのだ。
  • 演者たちの息の合った、よく動く芝居が、それを具体的なかたちで実現しているのは云うまでもないが、七人の兄妹たちと、彼らと共に猪飼野の街で暮らす人びとの具体的な「顔」が、密入国者の張り込みをしている日本人の刑事ふたりも含め、ひとりひとりが、それぞれに背景のある個人として立ち上がっている。
  • 例えば、同じ在日でも、総連と民団の衝突がある。朝鮮語ができるできないの壁がある。男と女の対立がある。出自を誇りたいものもいれば、朝鮮人だと見られたくないと思うものもいる。戦後の「4.3事件」で家族を皆殺しにされたものもいれば、生まれたときから猪飼野にいて、そんなことが起きたことも知らないものもいる。
  • 「他者を認め、共に生きていこう」と云う標語は、まったく正しい。だが、正しいだけで、何処ででも使えるキャッチコピーが、私たちの胸を打つことは決してない。
  • だからこの舞台では、或る主張を絵解きするための都合の良いぺらぺらなキャラクタとして切り出された「チョーセンジン」や「ニッポンジン」ではなく、濃淡のある個人と個人が織りなすドラマとして表現されていた。それだから、「マンセー!」でもなく「デデイケ!」でもない、私たちの社会のドラマになり得ていた。
  • ところで、タイトルの「風の市」と云うのは、辟易しながらも他者を受け入れ、日々の暮らしを営んでゆくこの家族たちの姿であり、また、私たちの社会が持ち得る寛容さそのものを表わしているのだろう。とても良いタイトルだと思う。
  • いろいろと、とりとめもなく、あれこれを考えてしまう。そんな舞台だった。
  • 年末、東京公演も行うそうである。
  • 劇場を出て、日本橋のほうに歩いてゆくと、貸ヴィデオ屋の軒先で、ラース・フォン・トリアーの『奇跡の海』の中古DVDが500円で売っていたので買う。女性の犠牲による男の救済と云うことで、フェミニストの方々からは大変評判の悪い映画だが、話だけならワーグナーの『タンホイザー』だってこんなものである。寧ろ、ワーグナーのオペラの映画化であると云われても、少しも不思議ではない。やはりラース・フォン・トリアーの映像の持つ力は並大抵のものではないと私は思うのだ。特に、ヘリコプタと「鐘」。バイロイトでの『指環』の演出をトリアーが手掛けていたら、どんなものになっていたのだろうか。今の技術ではじぶんの考える『指環』は実現できないから、と云うのが降板の理由だったらしいが、やっぱり、彼が降りてしまったのは、今も残念で仕方がない。指揮のティーレマンを主人公にしたドキュメンタリ映画も一緒に流産してしまったのだから。
  • 難波の古本屋をぶらっと回ってから、梅田で帰省中のU嬢と柚子と、JR大阪駅で待ち合わせ。
  • 大阪駅前第1ビル地下のインド料理屋「ミラ」*3で夕食。U嬢、やっぱり面白すぎる。
  • その後、堂島の「ロンドンティールーム」に移動。U君もやってきて、駄弁る。