岡本喜八の三船敏郎追悼文

  • だんだん白くなってゆく空を車窓の向こうに眺めながら、やがて帰宅。柚子を送り、少し書き物などして、バッタリと眠る。
  • しかし、一時間半ほどで起きてしまう。
  • 昼過ぎに風呂に入り、水着やジャケットを洗濯したついでに浴槽も洗う。
  • 久しぶりに歯科医に行く。ながながと治療してきた奥歯の親知らずは次で終わりらしいが、他にも虫歯が幾つかあり、まだまだ歯科医通いは続きそうである。そのまま自転車に乗り、隣町まで出て、あれこれと用事を済ませる。
  • 真夜中にふと、昔録画したヴィデオを引っ張り出してきて、岡本喜八の『日本のいちばん長い日』を久しぶりに観始めるが、テープがずいぶんダメになってしまっていて、タイトルが出てくるあたりまで観て、後日DVDを借りてこようと思い、途中で止める。
  • 「送る言葉」と題されたコーナーの、当該のところだけを切り取ってしまったため、何処の新聞だったか判らないのだが、三船敏郎が死んだあとに、岡本喜八が書いた追悼文があんまり素晴らしくて、私はその切抜きを、ヴィデオ・テープのケースに貼り付けていた。たぶんその後、何処にも収録されたことはないと思うので、以下、その全文を引いておく。

三船ちゃんに手紙を書いたのは、二度しかない。一度は、一家でハリウッドに移住、と聞いたからである。「世界のミフネ」は、日本で目覚ましい仕事をしている事への賛辞だと思うので、どうか翻意を、と書いてロンドンに送ったのだが、返事はなく、手紙を託した人によれば、「ロクな写真撮ってねえのに生意気だ」と破って、棄てて、踏みにじったと言う。ま、良いか。その内判るだろう。
それから間もなく、〈日本のいちばん長い日〉を撮る事になった。阿南陸相は当然「三船敏郎」だなと思っていたら、断って来たと言う。私はもう一度だけ書いた。兄の言う通りまだロクな写真を撮ってはいない。だがロクな写真づくりを一緒に目指してみたい。
三船プロからOKが来た。そして、陸相自殺シーン撮影の朝、プロデューサーが私の耳元で囁いた。「三船君は昨夜一睡もしてないらしいぞ、見ろ、あの顔だ、明日にしようよ」「いや凄い顔です、今日撮ります」「何?」「陸相だって人間で…同じ人間だったら自決前夜は眠れなくて…いや、折角のあの顔、撮りたいです、今日…!」
自称ブキッチョの「世界のミフネ」は、「努力のミフネ」でもあったに違いない、のである。