『バニシング・ポイント』は傑作だった。

  • 昼過ぎ、郵便局に出掛けたほかは、ずっと部屋で過ごす。
  • 夕方、リチャード・C・サラフィアン監督の『バニシング・ポイント』を観る。マーク・ロスコの絵のようなハイウェイを、砂漠を、スクリーンと云うカンヴァスを切り裂くように、純白のダッジ・チャレンジャーが疾走してゆく。
  • とてもシンプルな映画だった。
  • これは、ダッジ・チャレンジャーを疾走させ、画面にラインを引いてゆく映画である。この映画のなかでそれは、自由に行われるべきものであり、だから、ハイウェイのセンターラインを決めてゆく敷設車は、ダッジ・チャレンジャーのドライヴィングにその作業を中断させられ、ラインを斜めに引いてしまう。そして、美しくて若い女は長い髪を風になびかせながら、小麦色の肌の一糸まとわぬ姿でバイクに乗り、老いて美しくない女はひっつめ髪で制服を着て、警察の奥で自由な走りを妨害する手助けをしている。
  • 冒頭、年老いたカウボーイたちが、ダッジ・チャレンジャーの行く手を阻もうとする二台のブルドーザを、その皺だらけの顔でじっと見つめている。彼らが見ているものは、バニシング・ポイント(消失点)である。それは、西部劇の終焉*1であり、自力で道を切り拓いてゆくフロンティア・スピリットの最期だろう。
  • 映像のリズムと、無駄を排した語り、そして、空と大地を捉える絵の総てが、美しい。撮影はデ・パルマの『スカーフェイス』、ポランスキーの『チャイナタウン』、フランケンハイマーの『ブラック・サンデー』などのジョン・A・アロンゾ
  • 大変な傑作だった。ヴェンダースの総ての「アメリカ」映画と、この一本を取り替えても良い。この映画のタイトルしか知らず、一度も見ようと思わなかったじぶんを大いに恥じる。「ぜひ観ろ!」と叫んでくれたクエンティン・タランティーノに、ひたすら感謝。
  • 姑が夏バテで弱っていたが、今日は少し元気そうで何より。柚子の帰宅後、昨日のすき焼の残りにご飯を入れて食べる。チャイを作り、ふたりで飲む。
  • 瀬島龍三が死去。後世の人間が訊きたいことは何も喋らず死んで行ったわけか。陸軍の誇る「天保銭組」の癖に、海軍の悪しき伝統なんか真似しないでいいのに(笑)。
  • 佐藤真も自殺。

*1:ちなみに、サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』が1969年、この映画が1971年。たった2年で些かの笑いも希望も失われている。