『デス・プルーフ in グラインドハウス』を観る。

  • 明日から出張だと云う弟と梅田で待ち合わせて、昼からクエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス*1を観る。
  • やっぱり素晴らしい。
  • 尺も長くなり、ますますタランティーノのじぶん専用ポルノ映画度がアップしていた。
  • グラインドハウス』では失われていたヴァネッサ・フェルリトの演じるバタフライ嬢の超エロなラップダンスも復活している。
  • 女の子たちのくだらない会話を同じテーブルで聴きたい。短パンに包まれた女の子のお尻&脚を、その匂いを嗅げるところまでにじり寄りたい。オシッコが洩れそうになる女の子の我慢顔が見たい。可愛い女の子にチアガールの格好をさせて「彼氏がオシッコするとこ、見たがるぅ」と恥ずかしそうに云わせたい。過去の栄光に包まれたマッチョに憧れながら、その急転直下なチキンっぷりに涙したい。女の子をボッコボコに痛めつけたい&女の子にボッコボコに痛めつけられたい。CGなんかじゃなくって、本物のクルマがガンガンチェイスするカー・アクションが見たい。等々、タランティーノのまったく極私的な欲望から作られている映画である。
  • しかもロドリゲスに奨められて、撮影監督も自身が勤めている。
  • でも、いや、だからだろう、まったく純粋な映画が、此処にある。映画と云うものを、殆ど純粋無垢なまでに信じて作られている、映画なのである。コンテンツだのなんだのと云ったゼニカネの言葉で、決して回収できない過剰なもので充満している映画である。
  • そろそろ六十歳に手が届こうとする、この映画に於けるカート・ラッセルの芝居の素晴らしさを、ゼニカネの尺度で測れるわけがないだろう!?
  • ところで、私は今日も大傑作を観たと興奮していたのだが、弟は全然ダメと云う。な、何故だ!?
  • 夕方、柚子と西宮で会い、廣田神社へ。三宮へ戻り、「ムジカ」でお茶をして、帰宅する。