担当医から説明がある。

  • 昼からM女史と会い、柚子からの「お裾分け」を手渡す。いつもの店とは違う、でもどうやら系列店っぽい喫茶店で、お茶を飲みながら話す。
  • 残念ながら早々に切り上げて、姑の病院に。
  • 午後四時から担当医から今後の治療方針に就いての説明を、義姉と姑と共に受けるはずだったが、処置が終わらず五時半になる。義姉は先に帰り、私と姑のみで説明を受けた。
  • 先日の抗ガン剤は非常によく効いて、肺のガンは目に見えるレヴェルではすっかり綺麗になっている。ただ、もちろん細胞レヴェルでは残っていて、放っておけば必ずまた再発する。小細胞ガンは消えるのも早いが出てくるのも早いとの由。しかし前回使用した抗ガン剤はキツイので、効果があると云うことでならば間違いないが、副作用(ひどい腸炎を起した)もまた必ずあり、しかも強くなることすら考えられるので、主治医としては奨めたくない。なので次は、比較的副作用が緩いであろう抗ガン剤で、さらに叩いていきたいと思っている。
  • 数ミリぽつんと、だったが、脳に転移しているガンの状態を、来月早々にMRIで調べる。もし脳のそれがひどくなっているようなら、先に脳のガンを放射線治療で叩く。それも肺などと同様に良好な状態になっているなら、体調もさらに快復しているだろうから、その後、抗ガン剤治療に入りたい。それまでは外泊は自由とのこと。
  • 会社を退けた柚子が来て、少し買物をしてから、一緒に帰る。
  • トニー・マイヤーズの『スラヴォイ・ジジェク』を読んでいる。大変面白い。

一時間くらい車の運転を続けて、その一時間をまったく覚えていないことに突然気づくときの感覚は、おそらく主体の消失の経験に近いものだろう。ラカンの用語でいえば、あなたはこのとき自動人形となって、なにも考えず自動的に、道路交通法というこの場合〈象徴秩序〉の一例であるものにしたがっていたのだ。運転中、あなたはたんに〈象徴界〉の一部になり、主体としては消えていた。しかし、対向車線のトラックが事故でこちら側の車線に突っ込んできたら、これは〈現実界〉の侵入だろう。いったいどうしたらいいのか、ブレーキを踏むのか、ハンドルを切ってよけるのか、決めなければいけないし、こうした決断の瞬間、〈現実界〉の侵入にどう対処するかを選ぶときに、あなたはふたたび主体として立ち現れるのである。ジジェクはこの意味で、主体は〈象徴界〉と〈現実界〉のインターフェイスに、境界線に存在すると論じている。単純にいえば、ふたつの世界のあいだになんの相互作用もないときには、主体はまったく存在しないのだ。