現代日本文学。を読んでいる。

  • 朝は雨。昼ごろには止んだ様子。
  • 午後過ぎから姑の病院に。此処数日は、おなかの調子が悪くなり、疲れたふうで、眠っていることが多くなっている。私が着いたときも、眠っていた。顔が少しむくんでいる。先に来ていた義姉が乾燥機に入れて帰った洗濯物を取り込んだあと、ベッドの脇で、岡田利規の『わたしたちに許された特別な時間の終わり』所収の小説版「三月の5日間」を読み終える。舞台版よりも、アメリカなるものが強烈な印象を残すが、まるで静かな椅子取りゲームのように、言葉の持つ手ざわりと云うか身体性のようなものが、ズルリとズレてゆくあの独特な感じはこのテクストにも明らかに刻印されていて、とても巧いのである。しかし、舞台を観ているときには、まるでそんなことを思わなかったのだが、岡田利規の小説は、嘗ての村上龍の作品(『イビサ』を頂点とするあたりの)と重なる部分が多いように思える。それはもしかすると、「もうすぐ始まりそうな、というよりも始まることのもう確実なこの戦争についてカジュアルに発言することができたあのパフォーマンスのような場所や雰囲気を、日本人は日本人だけで作り上げることはできない」と云うような文が、私にもう十数年以上も前に読んでいた村上龍を思い出させる、そう云ったごく単純なことなのかも知れないが。
  • そのまま、もうひとつ収められている小説「わたしの場所の複数」を捲ろうとしていると、姑が目を醒ましたので、車椅子で病院のぐるりを散歩する。少し空気はひんやりとしているが、昨日のような芯から冷たいものではなくて、良かった。