『バイオハザードIII』を観る

  • 昼過ぎ、姑の病院へ。車椅子で病院のピロティへ出て、ふたり並んで、ぼんやりと道路を眺める。けたたましいサイレンを先触れに救急車が入ってきて、後方のハッチが開くと、中から二、三歳ぐらいの子供を腕に抱いた若い母親が出てきて、足ばやに病院の扉を潜ってゆく。蒼い顔の母と、泣くでもなく呆然とした表情で、ペッタリと頭蓋に貼りつくようなのだが、先のほうがあちこちで跳ねていて全体の印象としてはクシャクシャに見える髪の、小さな男の子だった。
  • フランシス・ウィーンの『マルクスの『資本論』』を読み始める。シェリーの『フランケンシュタイン』が愛読書だったマルクスと、バルザックの関係から語り起こす。なかなか面白い。
  • ミント神戸のレイトショウで、いわゆる「ミラジョヴォ映画」の最新作である『バイオハザードIII』を観る。『II』よりは幾分持ち直している。ラッセル・マルケイはもうちょっとキチンとした映画が撮れるひとだと思っていたのだが(『スナイパー/狙撃』などは良い映画だった)、なかなかツライ。しかし、不調出来な映画を観ることは、こちらの思索が促されて良い。何でこんな処でカットを割るんだろう、とか、何でこんなCGを使っちゃうんだろう、とか、何で此処で仕込んでいたネタを使うんだろ、とか、いろいろとこの映画ではなく、寧ろ「映画」に就いて、目の前の画面を手掛かりに思考が駆動し始めるようになるからだ。すると、昨日観た『僕のピアノコンチェルト』の殊更ではないがやはり鮮やかな映画ぶりが際立ってきて、当たり前のことだけれど、映画の良し悪しと云うのは、それがリアリティのある話であるとかないとかはまるでどうでも良くて、映像のリズムとかテンポをどれだけキチンと作ることができるかと云うことのほうが重要なのだ。ちなみに、ミラジョヴォ映画としては、ゾンビカラス殲滅シーンとその際のタンクトップのぽっちり。が最大の見所であった。あとはミラジョヴォ・ジェノサイド。
  • 久しぶりに吉野家で牛丼を食ってから、柚子と待ち合わせて、帰宅する。