『サッドヴァケイション』とふたつの忘年会。

  • 夕方、梅田に出て、カンタービレの諸氏と待ち合わせて、中崎町PLANET+1青山真治の『サッドヴァケイション*1を観る。
  • これまで私が観た青山真治の映画のなかで、紛れもなく最高傑作。しかし私は以前から、最高の食材から、かなりひどい料理を作ってしまうシェフと、青山真治は非常に似ていると思っていて、今日もそれは、残念ながら殆ど裏切られなかった。
  • フィルムがみずから語り出さないからと云って、説明のための厚塗りした台詞を注ぎ込めばよいと云うわけではなく、フィルムが歌わないからと云ってサウンドトラックをみちみちと要らぬ音で埋め尽くせばよいと云うわけでもなく、フィルムが気持ちよくジャンプしないからと云って、不要なカットを重ねたりすればよいと云うわけではない。
  • 果たして青山真治は、本当に映画を信じているのか? 彼のフィルムは、あまりにも文学の方から牽引され過ぎていやしないだろうか? 
  • そもそも、この映画に与えられている136分と云う時間は、何だ。どうして、『Helpless』とまったく同じ長さで編集することをしないのだ。もっと大胆に鋏を入れて、もっと鷹揚に、スクリーンのこちら側で暗闇に座り込んでいる見物の目を信じることをしないのだ。スピルバーグの傑作から有名なキャッチコピー、「We are not alone」を引用してきているにも拘わらず、このフィルムは「未知との遭遇」を最も怖れているのである。
  • 前の会社の忘年会に誘われていて、18時スタートだったのだが、映画が終わった時点で19時半で、さすがに二時間ほど遅れると映画が始まる前に社長に連絡はしておいたので、まぁちょっとぐらいなら良いだろうと、そのまま呑みに行くと云う諸氏にくっついて、我が堂山カンタービレの発祥の地である「大千」へ。あとちょっと、もうちょっとだけ、とか何とか云いながら、彼らと話すのが面白くて、結局、21時半まで尻を上げられないで、呑み会の終わりまで、ずっといてしまう。
  • 諸氏と別れて、22時になってようやく、前の会社の忘年会に顔を出す。久しぶりの面々と顔を合わせる。忘年会は終盤で、私が着いてしばらくすると、遠方から参加していた数人が帰り、その後、社長の長男夫妻が帰り、どんどんひとがいなくなる。そうこうするうちに23時半。閉店で、お開き。だから、私が参加したのは結局、一時間ほど。しかし、このぐらいの長さがちょうど良かった。面倒な宴席に顔を出していると云う不快感もなく、寧ろ、すっぱりとこの職場への未練も断ち切れ、さばさばとした、ちょっと晴れやかなくらいの気持ちになって、帰路に。