『シガテラ』を読了し、『リング』を観る。

  • 段ボール箱の中から(他のCDを探していたのだがそれは見つからず)ピチカート・ファイヴの『TYO』を引っ張り出してきて、すごく久しぶりに聴く。拙宅のステレオ装置は、クラシックよりも明らかに、ポップスを聴くときのほうが、俄然よい音を出す。歌声と弦が抜群だと云う噂の、ソナス・ファベールのスピーカーが欲しい。
  • 夕方、梅田に出掛ける。借りていたDVDを返してまた借りて、久しぶりに旭屋書店に。
  • 帰宅後、古谷実の『シガテラ』を読み終える。傑作。
  • 愛とか恋とか友達とかの大切さと面倒くささとそれでもやっぱり大切だというのを、キチンと、決して冷笑的にならず此処まで描き切った「少年漫画」は、ちょっとないんじゃないか。『ヒミズ』の鮮やかなタナトスに私は強く惹かれるが、『シガテラ』に於ける、暗闇や混乱を潜り抜けることで初めて辿りついた、深い森の奥の「開かれ」のような光には、ちょっと太刀打ちできない。
  • 妻を大切にするぞ、とか、恋をしていることは素敵だ、とか、そんなことを、ぐるりと一回転してストレートに思える漫画だった。南雲さん、超可愛い。。。。。。
  • 草木も眠る丑三つ時、中田秀夫の『リング』を観る。もう十年も前の映画なのか。視線とフレームを巡る映画。被写体はカメラの方を見ることを禁止されている。フレーム(スクリーン、モニタ)へ私たちはまっすぐ視線を注ぐ。しかし、フレームからは決してこちらを直視しない。だから通常、私たちの視線とフレームの中からの視線がぶつかり合うことはない。しかし、フレームは私たちを凝っと見ている。こちらが忘れていても、あちらは覚えている。ラカンが読み込んだ「盗まれた手紙」や、「映画もあなたを見ている」というテーゼを繰り広げた押井守の『トーキング・ヘッド』を思い出す。