『女の中にいる他人』を観る。

  • 昼過ぎ、成瀬巳喜男の『女の中にいる他人』を観る。ひとり成瀬祭は継続中である。舗道を歩いている小林桂樹の姿を斜め後ろからキャメラが追う。ふいに、小林が立ち止まり、こちらを振り返る。この冒頭がめちゃくちゃ恰好いい。昭和の、中流の上の家庭ノワール物としてよく出来ている。三橋達也の妻を演じる若林映子が誠にエロいのが堪らん。
  • 夕方、久しぶりに阪急淡路の古本屋「本の森」に行くが閉店していた。超がっかり。梅田に出てツタヤに寄り、商店街の古本屋をぶらついて帰宅する。やはり帰宅途中の柚子と家の近くで出会う。
  • 南波克行氏のブログでシドニー・ポラックの逝去を知る*1
  • 私は、シドニー・ポラックの撮ったいちばんいい映画は、彼の親しい友人らしい建築家フランク・ゲーリーを撮った、とても寛いでいて大袈裟なところのないドキュメンタリ『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』だと思っていて、シドニー・ポラックでいちばん印象に残っているものと云えば、ハーヴェイ・カイテルの降板の穴埋めに俳優として出演したキューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』だ。ポラックの遺作もやはりニコール・キッドマン主演の『ザ・インタープリター』だったが、これはキューブリックのそれと違って、非常に退屈な映画で、ニコール・キッドマンに再び眼鏡を掛けさせたと云う一点のみに価値がある*2
  • しかし、南波氏のブログを読めば判るように、たぶんシドニー・ポラックの映画が最も旬だった時期に、彼の映画と映画館で出会うことができなかったことが、私を、まるで彼の死に冷淡にさせることの理由なのだと思う。時節を得て、最良の時に出会うことができるかどうかが、それに対する評価を決定的に変えてしまうことは、私たちの生が有限である限り、必ず起こることなのだ。
  • もちろん、時代を超えて、DVDで見ようがYouTubeで見ようが圧倒的に迫ってくる映画と云うのは、あると思う。
  • だが、そんな圧倒的な作品でなくても、或る時期の或るタイミングで見たとき、あなたや私にとって、それがかけがえのない一本になることだってある。ポラックの映画が、やはり親しい友人だったと云うキューブリックのようにこれからも見続けられると云うことはないかも知れない。しかし、いづれ総ての映画は消え去る。ひとつの時代に、ひとつの場所を持つことができたポラックは、幸せだったに違いない。
  • ご冥福を祈る。