- シド・チャリシーが逝去していたのを知る。
- 以前MR君から頂戴した鈴木秀美の、二度目に録音したバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴いているのだが、これはいわゆる古楽器による演奏である。私がこれまで聴いたのは、ミッシャ・マイスキーの'80年代の録音のものと、パブロ・カザルスのやはり最初の録音だけだが、この鈴木の演奏は、それらとは、ひどく違う。彼の演奏に起因する以上に、音を拾う機器の位置などに始まる録音のバランスなのかも知れないが、旋律のほかに、弓で弦をこすりあげる音が、いかにもなまなましいのだ。では、この擦過音は、バッハの音楽に含まれるのか? そうではないとするなら、私の鼓膜を震わせるのは、何処から何処までがバッハの音楽なのか?
- 日本を代表する現代音楽の作家は、或る楽器には出せない音を、楽譜に書いてしまったことがあったと云う。楽器の特性を熟知していないための、単純なミステイクだったのかも知れない。だが、もし彼の頭のなかではその音が鳴っていたとするなら、想起し、記譜することはできるが、鳴らすことができない音が、音楽が存在し得ると云うことになる。
- 音楽は、音(そして沈黙)がなければ存在することが決してできず、しかし私たちの耳は音と音楽を選り分ける。音でもあり音楽でもあるものに、私は興味を惹かれるが、私は「それ」を聴いているとき、やはり音楽を聴いている耳になっているようにも思う。だが、耳が音と音楽が選り分けることをできなくなる瞬間と云うのは確かにあり、これを持続させることは至難だが、こう云うふうにも聴くことができるときもあると知っているのは、やはり面白い。
- 扇風機の風を私にではなくPCに当てながら作業しつつ、何となくTVに繋いだDVDプレイヤに『日本のいちばん長い日』を載せて見始めてしまい、結局最後まで。通してみたのは久しぶりだが、今日は、決して映画の運動、リズム以外の部分では感動させないぞ、と云うアクションの作家岡本喜八のフィルムの刻み方がとてもよく見えた気がした。
- これまたMR君から頂戴したパーヴォ・ヤルヴィ指揮による、ルトスワフスキの「オーケストラのための協奏曲」を初めて聴いたのだが、あの俊敏なベートーヴェンからは想像もつかないほど、えらくもっちゃりとして、些か退屈。驚いてMR君に訊ねたら、そもそもがそう云う曲らしい。納得。続いて、ストラヴィンスキーの「春の祭典」も聴いたが、私が最もよく聴いているクリーヴランド管を振ったブーレーズのものとは、全然違う場所を前に押し出すように音を作っていて、やはりパーヴォ・ヤルヴィは面白い指揮者だなぁと感心する。