シュトロハイムは何度観てもいい。

  • 午後から独り梅田に出て、中崎町PLANET+1で、映画史上最高の男前だと私は思っている、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの監督作品三本立て*1に。
  • 『愚なる妻』のエンディングで、彼が以前、純白の手巾で鼻を押さえ、顔を顰めてその脇を足早に通り過ぎた下水の、暗渠のなかに投げ込まれる直前の、シュトロハイムの壮絶無比な笑顔! 兎に角、素晴らしいショットがぎっちり詰まっている映画。
  • 『グリード』も本当に、ひたすら、すごい。最後の超ロングの、画面が光に侵され尽くし、中央のぽつぽつとした黒い点のような影以外、何も留めないかのようなショットには震えるしかない。そろそろ百年も前になろうとする映画がこんなに凄まじいのは、私は進歩を信じていないから平気だが、やっぱりそれでもちょっと、周りを見廻して暗澹たる気分になる。例えば、クストリッツァとPTAを足してぶつけても、シュトロハイムにはちょっと勝てないのじゃないか?
  • その監督第一作『アルプス颪』を観るのは初めてだったが、既に『愚なる妻』や『グリード』の萌芽は総て此処にある。
  • 今日は人間の、男と女の業と欲を克明に描き出す彼はもちろん、子供、鳥、犬や猫をえらく巧く撮るシュトロハイムが気になった。彼がもっとたくさんの映画を撮っていたら、そう云うのが前に出た映画もあったのじゃないかと思う。
  • ツタヤに寄ってから帰るともう零時で、柚子は蒲団のなか。酢豚とごはんを少し食べ、皿を洗い、ベアート・フラーの作品集から「aria」を聴く。この曲はとても好き。
  • たぶん上下巻組みの『恋空』より文字の数は少ないかも知れないが、その数万倍は面白いロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』をようやく読み終える。幾つか、その隅を折った頁から試みに抜き書いてみる。
  • 君の映画の美しさは映像の中にある(絵葉書趣味)のではなく、映像が浮かび上がらせてみせる或る言い表わしようのないものの中にあるはずだ。
  • 沈黙は音楽にとって必要であるが、その一部をなすわけではない。音楽は沈黙という土台に支えられているのだ。
  • 藝術に対する敵意、それはまた新しいもの、予期せざるものに対する敵意である。
  • 新しさ、それは独創性のことでもなく現代性のことでもない。
  • 自分が何を捕まえようとしているかについて無知であれ、ちょうど釣竿の先に何がかかってくるか自分でも見当のつかない釣人と同様に。(どこでもない場所から出現する魚。)