フェルドマンには松平頼則と同じ手触りを感じる。

  • 真夜中ずっと、MR君から頂戴したモートン・フェルドマンの音楽を聴いている。「Coptic Light」や「Rothko Chapel」、「Why Patterns?」など、とてもいい。
  • 図書館で借りてきた近藤譲の『音楽の種子』のなかには、雪の深く積もる田舎町で暮らす、「屡その巨体を折り曲げ、分厚い眼鏡を摩り付けるようにして物を見る」フェルドマンの姿が描かれていて、ほんの短い文章だが、近藤の「耳」のような「目」と、それが見たものを書き記す「文体」の類い稀な美しさがよく判る。

私が彼を尋ねたとき、エリー湖に面したうらぶれた工業町バッファローの小さな古道具屋の店先で、鼠の囓り跡のついた初期アメリカ時代の道具箱に顔を近づけ、艶やかな木肌を手で嘗めるように吟味している彼を見て、私は彼の音楽の愛で方を理解できたように思った。