TVは視聴者を馬鹿にしている

  • 夜、柚子と夕食(焼きそば)を食べながら、NHK宮崎駿のドキュメンタリ*1を見る。現場の宮崎の姿を追うだけで充分に勁いドキュメンタリになるのに、くだらないナレーションと陳腐な物語(亡き母への思慕!)をベタベタと貼り付け、いつもながら茂木健一郎と女子アナウンサのコンビは、どうでもいいことばかり宮崎駿に訊ねる。しょーもない質問タイムの間に台所に行き、お湯が沸いた薬缶のなかにジャスミン茶のパックを放り込む。キャメラが捉えているものの勁さを信じられないから、こんなくだらない物語を貼り付けるのだ。……と、こんなことを書くと、普通の視聴者はジブリは知ってても、映画史に残る天才的なアニメータとしての宮崎駿のことなんか知らないから、こういう仕掛けが必要なんだよ、とか云う意見が出てくるのだろうけれど、それはたぶん、一般的に、ひとを馬鹿にしている。スタジオジブリの映画を一本も見たことがなくても、宮崎駿を知らなくても、白髪の老人が仕事場で若いスタッフの絵をガンガンけなし、手を入れまくり、絵コンテが仕上がらずに頭を掻き毟るさまを映すだけで、ひとは「晩年の仕事」なるものに就いて、何かを感じることができるはずなのだ。しかし番組の最後、宗介少年がトキさんに抱きとめられる場面の絵コンテを宮崎駿が書き上げて、其処に被せられるナレーション、「宮崎は遂に母に抱かれた!」(大意)が最高潮に酷かった。よくも、こんなくだらない言葉を思いついて乗せたものだと呆れかえる。くだらない。ほんっとうにくだらない。徹底した映像のひとである宮崎駿に三年余も貼り付いて撮ったドキュメンタリの最後を、こんなしょーもない言葉で塗りたくって、恥ずかしくないのだろうか? そもそも、『崖の上のポニョ』と云う大傑作の映画を馬鹿にしているじゃないか。どなたか存じ上げないが、この番組のディレクタ氏は、被写体の勁さが、映像の力が結局信じられないのなら、ドキュメンタリのキャメラを廻すのなんかさっさとやめて、ノンフィクションでもお書きになればいい。