台湾へ。


  • 昼過ぎ、関空から中華航空台北に向かう。
  • いつもながらジェット旅客機が離陸する瞬間の、あの射精のそれに似た気違いじみた感じが好きだ。
  • 台湾と日本の時差は一時間で、日本が12時なら台湾は同日の11時なのだけれど、なんてしたり顔で書いているが、ついさっき飛行機の中で知ったことだ。
  • 三時間ほどの旅のなかで、何処かの海の上で、飛行機の窓から、精緻にして雄渾な巨大な雲の彫刻をたびたび目にした。たまたま飛行機がその横を通り掛り、私の目に触れたわけだが、飛行機が飛ばない場所にもきっと、このような立派な美があり、しかし、そのようなひとの目に触れることのない美とは何なのか? 或いは、ひとの目に触れないことが、パーフェクトな美の条件なのか?と、少しだけ考える。
  • この旅は、「総てが自由行動のツアー」と云う訳のわからないもので、台北郊外の桃園国際空港から市内のホテルとの往復には、現地の旅行代理店の車が組み込まれている。飛行場を出てくると、もう十数年も経てば立派なやり手婆になれそうな、押し出しのよいお姐さんが待っていて、やはり今の飛行機で着いたらしい、学生さんと思しき女の子たちや新婚夫婦、初老の会社員ふたりと云ったひとたちと一緒にマイクロバスに乗せられる。ニコニコ笑っているおじさんが運転手なのだが、高速をびゅんびゅんカッ飛ばすその尋常でない感じに支那を感じて、此処はもう日本じゃないなあと、頬が緩む。お姐さんがずっと免税店のパンフレットを手に何やら説明しているが、ずばずば飛び去ってゆく、高速の両脇にみえる建物や、ちょっと日本とは違う感じの緑を眺めるのに忙しく、私は殆ど聞いていない。きっと行くことのない場所の説明だからだ。
  • さて、女の子たちと違って、両替も既に済ませていて、烏龍茶も買わないと云う私は、お姐さんからすると、大変つまらない存在らしく、ホテルに到着するとカウンタでてきぱきと手続きを済ませると、私を置いて、途中の喫茶店で降ろした女の子たちと再び合流すべく、さっさとバスに戻って行った。
  • 私が泊まったのは「世聯商務飯店」*1と云うホテルである。こぢんまりとしたホテルで、悪くない。扉を入ってすぐ脇の壁に小さな穴があり、其処へ部屋のキィを差し込んでおくと電気が点くと云う仕組みが判らず、フロントに電話をして、教えてもらう。
  • ベッドに横になり、TVをつけたら、ブリュッセルのバァのTVでも流れていて、ぼーっとオッサンたちが眺めていた『鋼の錬金術師』が、実に上手な吹替版で放送されている。他にも、すごく上手な吹き替えで、『こち亀』や、私は初めてみる『動物小町』(日本では『アニマル横町』と云うタイトルらしい。アイキャッチだけはそのまま使われていた)*2、そして、リアルタイムで流れているNHKのニュースなどを見ながら、ちょっと疲れたし、このまま寝ようかとも思ったが、それではやっぱりつまらないので、七時から「國家交響樂團」*3の演奏会が「中正紀念堂」の「國家音樂廳」*4であるのを思い出し、夕方の街に繰り出す。
  • ホテルのフロントのおばさんは日本語ができ、きちんとMRT(捷運)の「中山站(駅)」までの道を教えて貰ったのだが、私の買って行った観光ガイドには、高架の上を走る新しい「木柵線」の写真だけが載っていたので、私はMRT(捷運)が地下鉄だとはまるで思わず、高架の駅ばかりをうろうろと探し続け、なんとなくぶらぶら歩いていたら巨大な「台北車站」の前に出たので其処から地下鉄に乗る。MRTの切符の形状が面白く、ちょうどルーレットのチップのようなコイン状の青い樹脂でできていて、改札を通るときセンサーに触れさせ、出るときはスリットにそのままコインを投げ入れると回収されて、改札が開くと云う仕組み。台北の鉄道の値段はとても安く、しかもこのコインが愛らしいので、殆ど、これを買いたいがために、MRTを私はたびたび利用することになるのだった。
  • さて、六時過ぎに「中正紀念堂」の「自由廣場」に到着。もう真っ暗である。会場の「國家音樂廳」は、外からみると非常に馬鹿でかいが、今は屋根や壁の掃除をしているらしく、巨大な櫓が組まれ、そのぐるりを覆っている。向かいの「国家戯劇院」の前では、高校生くらいの女の子たちが、ダンスの練習をしていた。
  • まずはチケットを手に入れねばならず、「國家音樂廳」地下のアートショップの店員嬢に不自由な英語で、今夜のコンサートのチケットを買いたいのだけれど、と訊ねると、チケット・オフィスまで案内してくれる。400元から2000元まで六段階のうち、下から三番めの900元(三千円くらい)の二階席を買ったのだが、実際にホールに入ってみると、二階が一階に該当していた(さっきのアート・ショップやチケット・オフィスは、私は劇場正面の大階段の下から入ったので何となく地階なような気がしていたが、よく考えると、あれが一階なのだ)。オペラグラスを忘れてきたのだが、ちょうど真ん中あたりの席で、オーケストラ全体も指揮者の挙措もしっかり見える、ずいぶんいい席だった。外側の建物の与える印象に比べると、その内側のホールそのものは決して大き過ぎない。
  • 演奏が始まる前、大きな吹き抜けと螺旋階段のある空間で、聴きどころの解説がCDを使って行われていた。老若男女が階段に腰をおろし、熱心に説明を聞いていた。
  • さて、曲目はウェーバーの「『オベロン』序曲」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲、シューベルトの第八番「ザ・グレート」。指揮はギュンター・ヘルビッヒ。ベルリン・クラシックスからハイドン交響曲選集などの録音があるようだが、私は未聴である。
  • 全体の印象として、極めてがっちりとしたモダンな演奏。弦と弦との掛け合い、管の絡み合い、それらを明瞭に切り分けてみせるのではなく、巨大な流れに纏めあげ、濃密なドラマを作り上げる。その流れのうねりこそがたぶんヘルビッヒのめざす音楽で、それを実現するためにオーケストラは、みっちり絞られた感じがした。何より感心したのは、オケの集中力。特に「『オベロン』序曲」での弦のぴっちりと揃った感じは、とても気持ちがよかった。
  • シベリウスは、まだ若い女性のヴァイオリニスト、レティシア・モレーノ*5の狂犬っぷりが最大の聴きどころ。オーケストラに掴みかかり、蹴りまわすような獰猛な音で、観衆は大いに沸いていた。
  • シューベルトの「ザ・グレート」は、初めてこの曲の良さが判った気がする。
  • かなり満足して、再び地下鉄に乗り、ホテルのおばさんが教えてくれた「中山站」まで出て、確認のために徒歩で戻る。道を走るスクーターの台数の多さと、ふたり乗り、三人乗りが当たり前なのが凄い。
  • ホテルの近くのマクドナルドで夕食を済ませ、部屋に戻り、柚子と電話で話して、そのまま眠る。