追憶の2008年

  • 昼になって起き出して、きのうできなかった『アラザル』ブログをざかざかと書いて更新して*1(どうでもいいことなのだけれど、私は大抵のクラシック好きとかオペラ好きと云うひとと、本当に話が噛み合わない。このスノッブ奴!と、こちらが思ってしまうのだ)、食卓で柚子とお昼を食べる。
  • 夜、宝塚の清荒神清澄寺へ、今年の厄払いに参拝へ。私は此処は初めて。駅前から延びる暗い参道をふたりでつらつらと昇ってゆく。
  • お御籤を引くと、ふたりとも「凶」だったので、境内に括りつけておいた。ちなみに私は、心を善く保ち、他人を大切にすると雲が風に吹かれて空が晴れるようによくなるとのこと。
  • 少しずつひとが溢れ始め、両脇の屋台が活気づきはじめた参道を、のんのんと下ってゆく。荒神さんを出たら、ちょうどそのとき、屋台の中のラジオからPerfumeが『紅白歌合戦』で歌う「ポリリズム」が聴こえてきた。さらにしばらく行くと、やはり屋台の中に置いてある、古くて小さなポータブルTVの画面で、ブレブレにブレまくったかしゆかが踊っているのがちらりとみえた。ケバブを買って、ふたりで食べる。
  • 行き帰りの電車のなかで、ポール・グリフィスの『ジョン・ケージの音楽』を読み始め、読み終える。小さな本だが、とても要領よく、ケージの音楽の変遷が綴られている。そして、この日本語版に関しては、グリフィスと共著と呼んでしまってもいいのじゃないかと云うくらい、訳者の堀内宏公による訳注と解説が大変充実していて、とても素晴らしい仕事だった。
  • MR君がいつも云っていることだが、ジョン・ケージは「4分33秒」を作曲したことよりも、それ以降も作曲することをやめていない、と云うのが重要なのである。そしてこれは、例えば一柳慧磯崎新の仕事にも通底している問い(謎)であり、此処にこそ彼らの可能性の中心があるのだが、さて、それを私は巧く書くことができるのか……。
  • 年が変わる少し前に帰宅する。柚子が台所で年越し蕎麦を作っていて、私は食卓の隣の部屋で、「しま」と「持ってこいゴッコ」をして(「しま」は階段ではそれができるのだけれど、他ではやると、私が投げた紙屑を丸めたものを、決して持ってきてくれない。寧ろ、彼に「頂戴、頂戴!」と声を掛けると、彼自身が飛んできて、私の指をがぶりとやるのである)遊んでいるうち、年を越してしまっている。
  • 柚子と新年の挨拶をして、蕎麦を食べる。彼女はお風呂に入ってからそのまま蒲団に入ったが、私は朝方まで、部屋でスガ秀実の『1968年』を読んでいた。
  • どうぞ皆さまにとっても、2009年がよい年でありますように……。