リドリー・スコットと中島貞夫

  • 昼前に、「しま」に蒲団からはみ出した足の先をがぶりとやられて、起き出して、お節を摘み、読書と書き物。ふと気になって、本棚から抜き出した本をぱらぱらとやっていたら、お目当ての記述を発見し、狂喜。やっぱり本は買って手許に置いておかなきゃ意味がない。批評を書くときは、特に。
  • 昼過ぎ、書き物(ほんの出だしを書き終えただけ。締め切りに到底間に合いそうにないぞ……)の手を休め、柚子と一緒に実家へ。弟は出社、母もきょうから仕事だそうで、祖母と妹を相手に駄弁る。実家を出て、駅で電車を待っていたら、帰省中のA君から電話。少し話す。
  • 三宮まで出て、ミント神戸リドリー・スコットの『ワールド・オブ・ライズ*1を柚子とみる。21世紀の、00年代版『アラビアのロレンス』だった。二度目が些か笑劇風となるのは致し方ないが、CIAのエージェントであるディカプリオが、ユダヤ系っぽい名前を持つ、ラングレーのボスであるラッセル・クロウと、アラブの紳士であるヨルダン情報局のボスからの熱烈なアプローチを受けて、揺れるのである。徹底してホモくさい映画だったのである。
  • 画面の中でアメリカ人は、ひたすら携帯電話をかけていて、ひとりとしてまともな恰好をしている奴がおらず、キチンとスーツを着こなすことができているのは、アラブ人だけと云うのは可笑しいが、成るほどジャンクであるがゆえにアメリカとは何であるかを定義することはできず、同時に、アメリカとは何でもあり得るのかもしれない。そして、画面の中で星条旗は、分厚い窓ガラスの向こうではためくか、画面の隅にちょろりと部分が映るだけなのである。しかし、レオナルド・ディカプリオは本当によい役者(変態と云ってもいいだろう)になっていて、端役に至るまで皆いい顔をしている。特に、マーク・ストロングの演じるヨルダン情報局のボスが素晴らしく恰好よい。そう云えば今年はサム・メンデスとデイヴィッド・フィンチャーの新作もあるのだった。愉しみ。
  • 帰宅後、たまたまTVをつけると、ちょうど中島貞夫の『序の舞』が始まったところで、結局最後までみる。名取裕子を巡る岡田茉莉子佐藤慶の激しい愛憎の映画(或いは、父親/教師としての振る舞う男が、やがて母子の枢軸に叩きのめされ排除されるまでの映画)だった。さすが中島貞夫、大変よくできている。少し出てくるだけだが、成田三樹夫もよかった。ところで、最初に名取裕子の乳房が映るシーンでは、いきなり「しま」が私の目の前に飛び出してきて、私の視界を奴の顔のどアップで塞いでしまい、ちゃんとみえなかった……。音楽は、「あ、これはもしや!」と思ってみていたら、やっぱり黛敏郎だったのが嬉しかった。